日産のBe-1やパオといった自動車、au design projectの携帯電話コンセプトモデルなど、 数々の製品の企画・デザインに携わったコンセプターの坂井直樹氏と、テレビからネットメディア、 アートまで造詣の深いソニー・デジタルエンタテインメント社長の福田淳氏に対談いただき、 そこからデザインの視点から見たネット、テレビの関係について読み解いていく。
2014年2月28日(金)
坂井 直樹 氏
コンセプター/(株)ウォーターデザイン 代表取締役/成蹊大学客員教授
1947年生まれ。68年サンフランシスコでTattoo Companyを設立し、刺青プリントTシャツ販売。87年日産Be-1の開発に関わり、フューチャーレトロブームを創出。04年ウォーターデザインスコープ(現ウォーターデザイン)を設立、現在に至る。
福田 淳 氏
ソニー・デジタル エンタテインメント 社長
1965年生まれ、日本大学芸術学部卒。アニメ専門チャンネル「アニマックス」など多数のニューメディア立ち上げに関わる。(株)ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント バイス・プレジデントを経て現職。
撮影 越間有紀子
ファッションデザインも、 カーデザインも“同じ感覚”
福田:坂井さんとデザインとの関わりについてお聞きしたいのですが、そもそもデザインとの出会いはいつ頃だったんですか。
坂井:僕がデザインの世界に来ようと思ったのは18歳の頃。それまでは5歳からずっと油絵を描いていたんですよ。絵描きになるつもりでいたんだけど、 絵描きで食っていけるリアリティは全くなかった。収入が得られないだろうって。でも油絵を教えてもらっていたおじは古い人で、デザインのこと「商業絵描き」って言って、すごく嫌っていたんですよ。 で、彼は僕に純粋芸術の道へ行かせたかった。結局は18歳の時に京大に行こうか、京都芸大に行こうか、防衛大学に行こうか迷って。
福田:え、防衛大学ですか?
坂井:飛行機乗りたかったんですよ(笑)。京都芸大に関しては、行けば勉強しないで、好きな絵を描いて暮らせるなと思っていました。逆に京大に行くとまた死ぬほど勉強しないといけないから、それはやだなぁと思った(笑)。それで京大にいる自分が全くイメージできなくて、結局京都芸大に行ったんです。 その頃は60年代後半、あらゆるところで革命が起きていた時代。学生運動が盛んで、インターネットもないのに、世界中で同時期に学生が爆弾を投げていました。きっと宣教師みたいな人がいて、思想というものをネットワークしていったんでしょうね。 アメリカでもフラワームーブメントやゲイリボリューションが起こっていました。その一番根っこはブラックパワーですよね。当時はまだ黒人の参政権がなかったですから。 つまり60年代は、人種や性別そして性的なマイノリティも含めた、マイノリティの解放運動が始まった時代だったんです。僕ら本当に世の中が変わるなぁと思っていましたね。結局アメリカはあまり変りませんでしたけど。