楳図かずおインタビュー  恐怖漫画家・楳図かずお デジタルお化け屋敷をプロデュース! | Talked.jp

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福田:すごいテンポいいですよね。トントンッて進みますよね。連れていかれるというか。最後逃げられない感じです。

楳図:はい。すごく無駄なくまとめられたと自分でも納得しているのです。よくできた話だと。

福田:ご期待ください(笑)。

楳図:本当にご期待ください。「一旦、中に入り込んだら、終いまで出られません」の感じは今回、LINE PLAYの【恐怖の楳図ハウス】と共通、同じと思います。

福田:同じですね。あと映画で「これだけは話しておきたい」ということありますか?

楳図:うーん、ネタばれが恐いですよね。

福田:撮影前から僕もその点を注意されていたので、質問にも歯止めがかかりました(笑)。

楳図:チラシや予告には、大事なシーンは入れないようにしていただきました。そのシーンにいく、ちょっと手前でとどめています。でも何が恐いかって?それは福田さん!あなたですっ!ここまで黙っていましたが、何しろ福田社長はこの映画に出演していますからね!あのイチエの顔を真正面から見たのはあなたでした!はいっ!ひとことどうぞっ!

福田:え!私がチョイ役で出演させて頂いたのが一番の恐怖でした(笑)真面目な話、この映画はスプラッターのようにただ怖がらせる映画じゃなく、観てる時も観た後もずーと怖い映画です。ですから、観ない方がいいです(笑)でも観たら生涯ベストムービーになること間違いなしです!

楳図:はい!

福田:話しを戻しまして(笑)。見どころを宣伝で一切使われなかったのはどうしてですか?

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楳図:大事なシーンは出していないのです。ここに出ている絵柄だけで話がまとまっていると思ったら大違いで。最後の最後まで油断しないで見てほしいっていうのが願いなのですけども。映画ってお終いが近づくともう立ち上がって出て行っちゃう方いらっしゃるので。僕、それはちょっと許したくないのです。

福田:この緊張感とストーリーは、本当に一瞬でした。もう試写室に座ったら、一瞬で終わってしまいましたからね。

楳図:ありがとうございます。映画の編集の方たちにも褒めていただいて、「何度も何度も繰り返して見るのだけど、素材がいいから、見ちゃう」って、専門の方がおっしゃってくださっているぐらいなので、間違いなく映画館に来てくだされば、きっと最後までしっかり楽しんで見ていただけると思います。

福田:本日はどうもありがとうございました!

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©KAZUO UMEZZ/SHOGAKUKAN

<マザー>

恐怖漫画の巨匠が映画界へ進出!
恐ろしくもせつない最恐ホラー誕生
恐怖漫画の巨匠・楳図かずおがついに映画監督デビュー!自ら脚本も手掛ける本作は、今まで多くの読者を魅了してきた楳図作品創造の秘密を解き明かす自叙伝的なストーリー。
人気漫画家・楳図かずお(片岡愛之助)のもとに、彼の生い立ちを本にしたいという取材依頼が舞い込む。担当編集者のさくら(舞羽美海)は楳図独特の創作の原点には亡き母・イチエ(真行寺君枝)が大きな影響を及ぼしていると知り、楳図の生まれ故郷の山村を訪ねるが、そこで謎の怪奇現象が次々に起こりはじめる・・・・!! これぞウメズ・ワールドの集大成!現実と幻想の狭間で繰り広げられる、恐ろしくもせつない最恐ホラーが誕生します。

9月27日(土)新宿ピカデリーほか全国ロードショー!

  • 監督・原案:楳図かずお
  • 脚本:楳図かずお、継田淳
  • 出演:片岡愛之助、舞羽美海、中川翔子(友情出演)、真行寺君枝
  • 主題歌:中川翔子「chocolat chaud」(ソニー・ミュージックレーベルズ)
  • 製作:「マザー」製作委員会
  • 配給:松竹メディア事業部

楳図かずお

1936年9月3日和歌山県生まれ、奈良県育ち。1955年、18歳で「森の兄妹」と「別世界」でプロデビュー。「ねこ目の少女」や「へび少女」などのホラー作品で恐怖漫画の第一人者として知られるようになる。1967年に発表した「猫目小僧」は1976年にTVアニメ化をされている。

1975年「漂流教室」ほか一連の作品で小学館漫画賞を受賞。一方で1976年に発表した「まことちゃん」でシュールなギャグが大ブレイクし、“グワシ”ポーズが社会現象となった。その後も「おろち」「わたしは真悟」「14歳」など、時代を先取りした独創的な作品を次々に発表、その多くが映像化されている。

創作活動と並行して活発に音楽活動も行っており、1975年にLP「闇のアルバム」、2011年セカンドアルバム「闇のアルバム2」をリリース。現在は腱鞘炎悪化のため休筆中だが、タレント、音楽家として稀有な独創性を発揮し続けている。