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米ソニー・ミュージックとの戦い

伝説のプロモーターが読み解く「エンタメの未来2031」(後編)   Talked.jp

福田:北谷先生のプロフィールを改めて拝見すると、ソニーに関わっておられた期間が長いのですね。当時のソニー・コーポレーション・オブ・アメリカには、どういうミッションで?

北谷:かつて私が大学で教壇に立っていたとき、ソニーから研修で来られる方々がいました。日本人で、この手のテレコミュニケーションや通信、放送などのメディア論を教えている教授は誰もいなかったのです。「日本人でこういう内容を教えている先生がいるらしい」と調べられたようで。インディアナ大学時代、またワシントン州立大学の時代に、ソニーの研究所の方たちがいろいろと聞きに来られていたんですね。その中の研究所長のボスが、のちのCEOの出井伸之さんです。

福田:そんな時代ですか。

北谷: 代表になる以前、出井さんの周りには若手の、エレクトロニクスのビジネスだけでなく、コンテンツビジネスだとかインターネット関連に興味がある人がたくさん集まって、社内勉強会をされていました。それで私も出井さんの勉強会に参加させていただくようになったのです。そんな中で異例の14人抜きで出井さんがソニーのCEOになられたわけですが、当時の1番大きな課題は、「アメリカのソニー・ミュージックそれからソニーピクチャーズだ」と。

福田:ははぁ。

北谷:福田さんもよくご存じの米ソニー・ピクチャーズは閉鎖的で、「ソニーはたまたまオーナーが日本人だけなのであって、やっているのはオレたちだ。日本人は来てくれなくて結構」と、そういう会社だったんですよね。そういう経営でしたから、この2社のお金の使い方、とくに宣伝広告費には不明瞭なところもあって、それを解明するミッションがある、と。でも社内に適任はいない。それで出井さんから、「北谷さんは東京ドームやTBSで、もういろいろミッションを果たしたでしょうから、そろそろこっちに来なさい」とお話をいただいたんです。でもちょうど私はTBSとの契約交渉をした直後だったんですよ。なので「それは難しいです」とお返事すると、「じゃあTBSは、私が行って話をしてくればいいね」とおっしゃって、出井さん、本当に行っちゃったんです。最新のソニーのデジカメをお土産に持って、当時のTBS社長だった砂原幸雄氏(故人)のところにアポを取って。 で、TBSの社長室から電話がかかってきて「北谷先生にはいろいろお世話になってきたんですけど、ソニーさんからどうしても、ということだったので、うちの砂原が受諾しました。あとはよろしく」って。つまり私はデジカメとの交換でTBSからソニーにトレードアウトされたわけです(笑)  

福田:デジカメで(笑)それからすぐニューヨークのほうに?

北谷:出井さんのお力で、私には日本に帰ってくるオプションもあったわけですけども、「まずは本社の執行役員になってください」と。そうしておかないとアメリカ人に対して威圧感がないですからね。それでソニーでは、当時おそらく1番若い役員、アメリカのソニー本社のナンバー2になっちゃったんですよ。

福田:後楽園の話もすごかったですが、ソニーの話もまたすごい。

北谷:「おそらく米ソニーの宣伝広告費はものすごい無駄遣いをされている。これをコンソリテーション(整理統合)しよう。メディアバイイングを一元管理することによってかなりのお金も浮くし、メディアバイイングエージェンシーに対しての交渉力も出るだろう」と。そこを握ればソニーピクチャーズやソニーミュージックの不明瞭なところに踏み込めるということだったんですね。それで北米の宣伝広告費の統合というミッションを私がやることになったわけです。

福田:でも普通はそこに、いくら役員でも日本人では入れないですよね。映画会社も音楽会社も「なんだあいつは、勝手に踏み込んできやがって。オレたちの1番おいしいところを取るのか」となりますよね。

北谷:ええ。ただ私はとりあえずそういうこともアメリカの大学で教えていたこともあって、しくみは分かっていますので、もうロジックでいくしかない。「これおかしいよね? なんでこれだけのお金を使っているのに、こんなフィーを払っているの? キックバックやリベートがあるんじゃないの?」みたいな。向こうは1番、ぐさっときますから。それでしょうがなくて最終的には応じてくれたんですけども。

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