対談 漆紫穂子 × 福田淳

成功要因は、「守り」と「変化」の経営バランス

福田:品女は学校改革をはじめてから入学希望者数が殺到して、偏差値も急上昇ということになって。漆さんというと、教育業界のイノベーターで、いろんな改革をされてきたっていう印象を受けるんですけども。どういうふうに、今の生き方を選ばれたのかについて、お聞きしたいですね。

漆:改革は先代が始めたことでみんなでやったのですが、そもそもの私の性格というと、最初から今のような感じだったわけではなくて、途中からなんです。どちらかというと、「ああなったら、こうなったら、どうしよう」と心配してやらないし、終わったこともくよくよ後悔するし。あと、「面倒くさいからやらない」という、この三つの性質でじつは20代後半まで生きてきたんです。

福田:そうなんですか? それは意外な告白、ということでいいんでしょうか。そんなかつての漆さんが、どのようなきっかけで変わられたのでしょう?

漆:私の父が校長の時代に、「このままでは学校が立ち行かない」というので、改革を決めたんですね。当時、父と同様、経営者としてその改革に携わっていた母が、今の私の年よりも若いときに末期がんで亡くなりまして。母の死と学校の経営不振という、私にとっては人生の中の大きな2つの出来事があって、そこで自分の夢だった、「教員として授業したり、担任を持ったりして生徒と関わる」という仕事を諦めて、この学校の改革の一員になるほうを選びました。そこからですね、なにかスイッチが入ったのは。

福田:そうだったんですか。

漆:頑張れるのは、いつも生徒と卒業生を見ているからだと思います。卒業生の子たちが帰ってくる母校を守って残すこと。あと今の子どもたちが大人になったとき、社会がどんどん変わって、それこそ「ホワイトカラーの仕事半分なくなる」とか、「親の知らない仕事に就く子どもが65パーセント」なんていう話があるじゃないですか。そういうときに備えて、力を付けてあげたいな、と思うとね。でも本当は、面倒くさいんですよ(笑)。本当は責任を取るのも怖いんですが、「よいしょ!」っていう感じでやっています。別に、やりたがりでもないんですよ。

福田:漆さんの場合は、状況がそういうふうにさせたということですね。

漆:そうです。だから、もし代わってくれる人がいるなら、いつでも代わってほしいというのが本音です。じつは、結構ボケっとしているので、まわりの人が心配して、助けてくれることが多いんですよ。たぶん、それが私の特徴じゃないかなと。

福田:らやましいですね。わたしなんか「自分が、自分が」って言っていると、「この人勝手にやるだろう」と思って、誰も助けてくれません(笑)

漆:私の場合、「いいんじゃない、やろうよ」とは言うんですが、「で、どうやってやるんだっけ?」みたいなところもあって。東日本大震災のときも、職員室にいたんですが、「これはまずい」っていうぐらいの揺れだったので、大声で「地震よ、みんなちゃんと動いて!」って言ったんですね。で、その直後に、「“ちゃんと”って何だっけ!」と叫んでいました。すると、その場にいた教職員が、次々と「放送を入れよう!」「私が教室の生徒を見てきます!」とか、明るいうちに倉庫を開けろ!」とか、どんどん大声で叫んで、臨機応変に動いてくれて。おかげさまで滞りなく、生徒たちの安全を確保することができました。

福田:そういう意味では、すごくいいチームワークを作ってやってらっしゃるんですね。学校改革の中でも、いろいろなアイデアやチャレンジをされたと思うのですが、「これが効いた」というような、成功要因はどこにあったと思われますか? 僕らが外から見ていると、最近でこそ当たり前ですけども、学校経営に普通の企業経営の感覚を持ち込まれているような、そんな印象を受けるんですけども。

漆:思い付くのは、二つ、大事だったことがありますね。一つは、父が校長としても経営者としても、大事にしていた軸をぶらさなかった、ということだと思うんです。それは、「つねに生徒、卒業生のほうを向いている」ということで、そこにリソースがあったと思うんですよ。自分なりに、学校や企業の改革について勉強しましたが、本来もっているいいものをすべて否定して、変えていこうとすると、失敗に終わる場合が非常に多い。なので、今まで品女が積み上げてきた価値やDNAと言われるもの、歴史といったものは軸をぶらさずに、変えるところと変えないところを明確にしていたことが大きいと思います。一方で、変えるところは大胆だったんですね。そこはベンチマークといいますか、他校や企業での成功事例などを、怖がらずにたくさん、学校の中に取り入れていきました。