“Content is King!”で生きてきた
【前編】
日時:2015年10月21日(水)
場所:コンテンツ研究会講演@青山学院大学
福田 淳氏
ソニー・デジタル エンタテインメント 社長
1965年生まれ。日本大学芸術学部卒。アニメ専門チャンネル「アニマックス」など多数のニューメディア立ち上げに関わる。(株)ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント バイス・プレジデントを経て現職。
構成: 井尾淳子 撮影:越間有紀子
はじまりは「映画監督になりたい」
僕がエンターテインメント業界に身を置くことになったきっかけは、14歳(1978年)のときでした。
大阪の梅田OS劇場で、70ミリの『スターウォーズ』と『グリース』を見て、「映画監督になろう」と思ったんです。ところが今、僕が手がけているのは500インチの大スクリーンではなく、5〜6インチの、スマホの世界で展開するコンテンツです。僕の夢は、本当いうともっと壮大だったのですが(笑)、「なぜみんな、6インチの世界しか見ないのだろう」という疑問と好奇心が引き金となって、現在の仕事をしています。
僕が住んでいる浜田山は今でこそ落ち着いた住宅街ですが、2001年ころは若者が夜10時頃、駐車場でしゃがんで、ラーメンをすすりながら、カチャカチャ携帯をいじっている光景がよく見られました。大人のエンターテインメントを目指して、映画会社に入った人間からすると、「家に帰ればお母さんのおいしい食事もあるだろうに、小さな画面に集中して、これは一体どういうことだろう」と疑問に思いました。しかし2000年の段階で、NTTdocomoのiモードが運営する有料コンテンツマーケットは、すでに有料コンテンツ2000億円の売上がありました。映画の年間劇場興業収入が2000億ですから、それと同じ規模です。東宝、東映、ワーナー、ソニーなど、映画業界が一生懸命頑張ってるのに、iモードと同じ規模というからには、きっと何かがあるんだろう」と思い、その当時働いていた「ソニー・ピクチャーズエンタテインメント」の中で研究をはじめました。
「ソニー・ピクチャーズエンタテインメント」はハリウッドの映像メディア企業で、コロンビア、トライスター、スクリーンジェイムスなどの映画・テレビ番組の製作、配給会社を傘下に収めています。最近では、「ソニー・ピクチャーズ・アニメーション」といって、トップクラスのCGスタジオも持っております。そういう会社で映画に携わりたいという思い1997年からおりましたが、それまでの経歴が、衛星放送のライセンスを当時の郵政省(現在の総務省)からとるためのコンサルタントをやっていたものですから、「ソニー・ピクチャーズ」でも、「スカパー!」で7チャンネルくらい立ち上げるための、事業開発責任者として雇われたわけです。そこで立ち上げに関わったアニメの専門チャンネル「アニマックス」でした。このチャンネルの成功によって、僕の人生は、映画づくりからさらに離れていったわけです(笑)「ソニー・ピクチャーズエンターテイメント」では、いろいろな新規事業がありましたが、3年で黒字になった「アニマックス」チャンネルの成功が、一番大きいものでした。