『ホームレス支援の新しいカタチ~誰にでもやり直せる権利がある』 ホームレス支援団体『Homedoor』川口加奈氏×実業家 福田淳の対談【前編】

川口加奈 × 福田淳 対談
ホームレス支援の新しいカタチ
~誰にでもやり直せる権利がある
【前編】

「ホームレス状態を生み出さない社会のしくみを作り」をテーマに、ホームレス支援団体で活動を続けている川口加奈氏。
一方、「社会のみんなが困っていることを、クリエイティブな切り口から支援する」ことを自身の役割としているソニー・デジタルエンタテインメント代表の福田淳氏。
そんなふたりがタッグを組んだ、ある日のブレスト会議。
「社会貢献」と「クリエイティブ」がコラボした瞬間とは?
アイデアを生み出すヒントを知りたい人は、要必見!

構成: 井尾淳子 撮影:越間有紀子

日時: 2015年12月21日

川口 加奈氏(写真右)

1991年 大阪府高石市生まれ。14歳でホームレス問題に出会い、ホームレス襲撃事件の根絶をめざし、炊出しや100人ワークショッ プなどの活動を開始。19歳でHomedoorを設立し、シェアサイクルHUBchari事業等でホームレスの人や生活保護受給者累計170名以上に就労支援を提供する。ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013若手リーダー部門やGoogle インパクトチャレンジグランプリにも選出される。現在、25歳。大阪市立大学卒業。

福田 淳氏(写真左)

ソニー・デジタル エンタテインメント 社長
1965年生まれ。日本大学芸術学部卒。アニメ専門チャンネル「アニマックス」など多数のニューメディア立ち上げに関わる。(株)ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント バイス・プレジデントを経て現職。

路上生活は、おっちゃんたちの「自業自得」なんかじゃない

福田:川口さんが、ホームレス支援団体『Homedoor』の理事長を勤めることになったきっかけは、14歳のときだったんですよね。

川口:はい。14歳のとき、「あいりん地区」と呼ばれる大阪・西成区の釜ヶ崎で、炊き出しに参加しました。そこで、年間200人ものホームレスの方が路上で凍死や餓死をしているという現実を知りまして。それまでは、「ホームレスの人=怖い」というイメージがあったんですけれども、炊き出しのおにぎりを渡したとき、「ありがとうなぁ」と受け取るその様子が丁寧で謙虚で。「このおっちゃんたちは、本当に自業自得でこうなったんだろうか?」と疑問に思ったんです。

福田:そのときの川口さんの感情としては、「気の毒だな」という感じだったんですか?

川口:いえ。それは思わなかったですね。むしろ「自分は加害者でもあったんだ」ということを感じたというか。
炊き出しに行ったとき、おにぎりをつくっていた施設の方がいろいろ話して下さったんですね。「この釜ヶ崎はもともと日雇い労働者の町で、おっちゃんたちは、使い捨てのようにされてきた人たちなんだよ。でもこの国では、日雇いはなくてはならないよね。あなたも電気を使うでしょう。その電気が供給される背景には、原発で働く日雇い労働者がいるのよ」と。それまで自分の気持ちの中に、ホームレスの人に対する偏見がゼロだったといえば嘘になるんですが……。無意識だったにせよ、「いいように使うだけ使われていた」ホームレスのおっちゃんたちに対して、偏見の目を向けていたことに気づいたら、なんか違うなっていう。申し訳ないという気持ちになったんですね。

福田:「人の使い捨て」をしてきた社会を代弁して、「申し訳ない」と感じたわけですね。それがきっかけになって、中高時代に川口さんはずっと、ホームレス問題を勉強された。

川口:はい。ホームレスの襲撃事件が多発していたんですが、おっちゃんたちが路上生活をするに至ったのは、決して本人のせいだけではなくて、社会構造自体が原因なんじゃないかと。それから「自分なりにできる精一杯のことをしたい」と自然と思うようになって、講演活動やホームレス問題に関する新聞発行、100人規模のワークショップなど、活動を色々と広げていきました。でも、おっちゃんたちの状況は変わらないし、自分の無力感を覚える中で、もっとホームレスを生み出さないしくみ作りを根本から考えないとダメなんじゃないかと思うようになって。大学は、ホームレス問題の研究が日本一進む大阪市立大学に進学しました。

福田:それで、19歳のときに、現NPOの『Homedoor』を立ち上げられた。

川口:はい。団体名の由来は、駅のホームにある転落防止策のホームドアのように、『人生と言うホームからの最後の転落防止柵』となれるように、『誰もがただいまと帰ることのできる温かいホーム(=居場所)への入り口』という役割を担う団体になれるように、ということで。