デザイン経営時代のブランディング
~WASEDA NEOトークセッション第2回~(前編)
主催:WASEDA NEO
構成:井尾 淳子
撮影:越間 有紀子
日程:2019年1月15日
場所:早稲田大学日本橋キャンパス(コレド日本橋5階部分)
WASEDA NEOとは
デジタル時代にこそ必要なブランドの考え方とは何か? ソニー・デジタルエンタテインメントの創業者で、デジタル時代のマーケティング、ブランディングのプロである福田淳をホストに、第一線で活躍するデザイン、ブランディング等のプロフェッショナルを招き、最先端の「デジタルブランディング」の本質に迫る講演会。
第2回のゲストは、日経BPで書籍、オンラインメディア等数々のヒットコンテンツを作られた柳瀬博一氏(現・東京工業大学 教授)。
ヒットメーカーが実践する「五感をいかしたマーケティング」とは何か。トークセッションの一部を紹介する。
第二回ゲスト/柳瀬博一氏
東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授、編集者。1964年静岡県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現、日経BP社)に入社。雑誌「日経ビジネス」の記者、専門誌の編集や新媒体開発などに携わった後、出版局にて『小倉昌男 経営学』『矢沢永吉/アー・ユー・ハッピー?』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』『赤瀬川原平&山下裕二/日本美術応援団』『板倉雄一郎/社長失格』『武田徹/流行人類学クロニクル』など数百の本の編集を行う。TBSラジオで「文化系トークラジオ Life」「柳瀬博一Terminal」のパーソナリティも。2008年より「日経ビジネス オンライン」のプロデューサー、2012年より日経ビジネス チーフ企画プロデューサー就任。小林弘人氏との共著『インターネットが普及したら、ぼくたちが原始人に戻っちゃったわけ』(晶文社)、崎谷実穂氏との共著『混ぜる教育』(日経BP社)がある。現在ラジオNikkei「BIZ&TECH Terminal」のパーソナリティ。
ホスト/福田 淳(ふくだ あつし)
ブランド コンサルタント。1965年、大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業。 ソニー・デジタルエンタテインメント創業者。 横浜美術大学 客員教授、金沢工業大学院 客員教授。 1998年、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント社 バイスプレジデントとして、衛星放送「アニマックス」「AXN」 などの立ち上げに関わる。 NPO法人「タイガーマスク基金」の発起人をはじめ、 文化庁、経済産 業省、総務省などの委員を歴任。 2017年、カルティエ提供「チェンジメーカー・ オブ・ザ・イヤー2016」を受賞(日経BP)。近著に『SNSで儲けようと思ってないですよね?世の中を動かすSNSのバズり方』(小学館)がある。
渋谷ハロウィーンの実態は 「ええじゃないか」
福田:よろしくお願いします。まず柳瀬さん、自己紹介からお願いします。
柳瀬:初めまして。柳瀬博一と申します。現在、東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院に所属し、メディア論を教えております。東工大のリベラルアーツ研究教育院には、池上彰さんをはじめ、いま日本の大学ではトップクラスの文系のすごい先生たちが集まっています。昨年4月から混ぜていただき、ようやく9ヶ月が経ちました。
それまで私は30年間、日経BP社という出版誌に勤めておりました。「日経ビジネス」を皮切りに物流雑誌の編集、新規媒体の開発に従事し、1990年代半ばに立ち上がった書籍のセクションに合流し、13年間、書籍編集者をやっていました。2000年台半ばは、ウェブメディアのビジネスモデル開発の仕事を始めまして、読ませる広告や、連載記事から素早く書籍を作るスキームなどを開発しました。2006年創刊した「日経ビジネスオンライン」を舞台に、様々な連載を立ち上げて書籍を作ったり、単価の高い広告を作ったりしていました。そのうちの一つが、私がプロデューサーを務めたカルティエのチェンジメーカーというプロジェクト。「その年、一番光り輝くチャンジメーカーを表彰する」という企画です。2016年、栄えあるチェンジメーカーのお一人に選ばれたのが福田さんだったんですね。
福田:ありがとうございます。うれしかったです。
柳瀬:あの年、福田さんと並んで受賞したのは、今、日本でトップクラスとなった建築家の田根剛さんだったり、『君の名は。』が大ヒットした映画監督の新海誠さんだったり。そういうきら星の中の1人が福田さんでした。
福田:ありがとうございます。
柳瀬:という具合に、私自身はアカデミズムの世界とはトンと無縁で、メディアビジネスの現場にずっといたのですが、今は大学の教員として、理系の大学生のためにメディア論を教えています。今日は福田さんに言われるがまま、いろいろ話していきたいと思いますので、よろしくお願いします。
福田:よろしくお願いします。柳瀬さんからお聞きした話も、今日のトピックスに入っていますよ。最初は、「渋谷ハロウィーンええじゃないか」というトピックから。どういう事態なのか、柳瀬さんからご説明お願いします。
柳瀬:2018年秋の渋谷のハロウィーンが、カオス状態になってテレビニュースやインターネットの話題になったことは覚えていらっしゃると思います。たくさんの若者や外国人が押し寄せて、治安は悪くなるし、犯罪は起きるし、でも買い物は大してしないし、といった地元の商業施設からの苦情がメディアに載せられました。自動車をひっくり返したりした映像がなんども流れ、最終的には逮捕者も出ました。
あのニュースを見たとき、私が個人的に思ったのは、「もったいない」でした。
なぜ「もったいない」か。地元がなんの宣伝もしなくても、勝手に日本中から世界中から渋谷のスクランブル交差点を目指して若者が集まる。「ええじゃないか」です。日程はあらかじめはっきりわかっている。ハロウィンの夜。考えようによっては、最高のビジネスチャンスではないか、と。彼らを暴徒とみなせば恐怖ですが、お客さんとみれば商機です。
地方都市や新規開店したお店で集客に苦労している人に聞くまでもなく、ほとんどのビジネスにおいて、「名前を覚えてもらう」「わざわざ来てもらう」というのが最初の大きなハードルになります。ほとんどのビジネスは名前を覚えてもらえず、ましてやわざわざ来てもらえることもありません。渋谷はその二つとも軽々クリアしているわけです。
一方、渋谷の街を歩くと、実感としてですが、最も人気のあった80年代から2000年代前半に比べると、お客さんの数もお店の熱気も落ちているような気がします。西武百貨店はかつての輝きを失い、パルコは再開発で姿を消し、駅前の東急のビル開発もいつ終わるかわからない。個店からチェーン店が増えた。するとどうなるか。ファッションの街としての渋谷の活力が明らかに薄れる。かつて若者のファッションを牽引する街だったはずの渋谷にそのパワーはいま、見当たりません。
福田:そうですね。
柳瀬:なにせ80年代には「渋谷カジュアル=渋カジ」なんて言葉があったくらいですから。西武、丸井、パルコの大箱はもちろん、裏通りには先鋭的なセレクトショップが路面店で展開していたり。90年代は、109を軸にギャルファッションの中心地になりました。私と福田さんの共通の友人で、現在アフリカ・モザンビークで子供達の医療問題に取り組んでいる社会起業家の栗山さやかさんも90年代は109のカリスマガングロ店長でしたよね。
福田:福田 そうそう(笑)
柳瀬:音楽の震源地も渋谷でした。フリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイブなど80年代後半から登場した洋楽志向の強いポップグループを「渋谷系」と称したりしたわけです。日本のユースカルチャーの中心は、間違いなく「渋谷」でした。
けれども、2000年代に入ると、渋谷は次第に「場」の力を失い始めます。かつて西武百貨店に入っていたような海外の高級ブランドも、チープなTシャツ屋も、人気のファッション、面白いファッションは、お隣の原宿・表参道エリアに移りました。ファッションもそうですけど、渋谷はあれだけ集客できる場所にも関わらず、駅前の街がぴたっと止まってしまって、魅力的な店がどんどんなくなっていて。
なぜ力を失ったのか。鉄道のターミナル駅であり、周囲に学校もある。地理的な条件で渋谷が凋落する理由はあまりないんですね。僕の個人的な仮説は、「チーマー」的なムーブメントをを取り込めなかったことにあるんじゃないか。
90年代前半、渋カジが流行って渋谷系音楽が流行っていたとき、チーマーが渋谷に集結していました。チーマーは、言ってしまえば「不良」です。ただ、渋谷は「チーマー的な側面を含めた面白い街」ではなくて、結果として、「チーマー」的なものを排除した。実際に犯罪を犯していたケースもたくさんあったからしょうがない。これども、チーマー的なものを排除したら、結果として、若者たちがストリートで遊んで、ファッションや音楽やサブカルチャーを作るという風土そのものまでも排除してしまった。巨大ビルは立つけれど、小さな店は姿を消し、鉄道は地下に潜って渋谷を素通りするようになった。
ハロウィーンの時の報道を見れば分かるとおり、渋谷にたくさんの若者たちが集まっているけれど、彼ら彼女らは、かつてのチーマー同様、客ではなくて敵とみなされちゃう。
でも、わざわざ渋谷に来るんだから、彼らを客にする方法を考えられないか。リオのカーニバルだって、ケガ人もいっぱい出るけれど、巨大なマーケットを形成、世界のお祭りの中でも最強コンテンツの一つになっています。渋谷のハロウィーンも、人が集まっていることをビジネスチャンスと捉える人がいてもいいはずです。もちろん、犯罪を排除しながら。あの「ええじゃないか」状態はビジネスチャンスだと思う人が出てきていい。
一方で、最初から町を挙げてハロウィーンをビジネスチャンスにしているのは川崎なんですね。川崎の駅前は、すでに90年代から街をあげてハロウィーンをお祭りにして、仮装行列がすっかり名物になっている。この前だと、世界の名画をそのまま仮装にした若者たちがいて、この人たちがグランプリをとった。
福田:そう、名画をフレームにして、モナリザになっている子とか、いましたね。
柳瀬:モディリアーニだとかね。なんと、川崎経済新聞によると特殊メイクの専門学校生6人だったそうです。
川崎市は過去20年近くハロウィーンでマーケットを育てていて、実質的にはちゃんと街にお金も落ちているし、主体的に参加してくれる人たちもいる。渋谷はあれだけ人が集まっているからにはニュースバリューもあるわけだから、変えられますよね。敵をお客に変えること。