会社を50代で辞めて勝つ! 逆算のキャリア戦略 ~WASEDA NEOトークセッション~

デザイン経営時代のブランディング 
会社を50代で辞めて勝つ! 逆算のキャリア戦略 ~WASEDA NEOトークセッション~(後編)

主催:WASEDA NEO
構成:井尾 淳子
撮影:越間 有紀子
日程:2019年12月12日
場所:早稲田大学日本橋キャンパス(コレド日本橋5階部分)

WASEDA NEOとは

早稲田大学が行う、社会人を対象とした新規事業。デジタル時代にこそ必要なブランドの考え方とは何か? ソニー・デジタルエンタテインメントの創業者で、デジタル時代のマーケティング、ブランディングのプロである福田淳をホストに、第一線で活躍するデザイン、ブランディング等のプロフェッショナルを招き、最先端の「デジタルブランディング」として、デジタル時代を生き抜く「ものの見方・考え方」の本質に迫る講演会。 ゲストは、ベストセラー『会社を50代で辞めて勝つ!』著者の高田敦史 氏。トヨタ自動車で宣伝部、商品企画部、海外駐在等を経て、レクサスのグローバルブランドマネジメント責任者を最後に、54歳でブランディング・コンサルタントとして独立した同氏に、同じく50代で自ら創業したソニーデジタルエンタテインメントから独立した福田氏が、50代で独立して更に成功するためには今から何をしておくべきか。ディスカッションを通じて具体化していきます。

ゲスト/高田敦史氏

元トヨタ自動車、レクサスブランドマネジメント部長。現在はA.T. Marketing Solution代表の他、Visolab株式会社 Chief Marketing Officer、経済産業省「産地ブランド化推進事業」プロデューサー、広島修道大学非常勤講師も務める。 1961年生まれ、一橋大学商学部卒業。1985年トヨタ自動車入社。宣伝部、商品企画部、海外駐在(タイ、シンガポール)等を経て、2008年、宣伝部の分社化プロジェクト「Toyota Marketing Japan」を担当し、Marketing Directorに就任。2012年からトヨタ自動車に戻り、Lexus Brand Management部長として、レクサスのグローバルブランディング活動を担当。レクサス初のグローバル統一広告の実施、カフェレストラン「INTRESECT BY LEXUS」の東京、ニューヨーク、ドバイでの出店等、各種施策を主導。2016年、トヨタ自動車を退社し、個人事業主となる(屋号:A.T. Marketing Solution)。独立後はブランディング領域を中心としたコンサルティング業務、講演活動等を行う。近著に『会社を50代で辞めて勝つ! 「終わった人」にならないための45のルール』(集英社)がある。 http://atmarketing.biz

ホスト/福田 淳(ふくだ あつし)

ブランド コンサルタント。1965年、大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業。 ソニー・デジタルエンタテインメント創業者。 横浜美術大学 客員教授、金沢工業大学院 客員教授。 ブランディング業務以外にも、女優”のん”などタレントエージェント、北京を拠点としたキャスティング業務をはじめ、国際イベントの誘致、企業向け"AIサロン'を主宰、ロサンゼルスでアートギャラリー運営、森林破壊を防ぐNPOなど、活動は多岐にわたっている。1998年、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント社 バイスプレジデントとして、衛星放送「アニマックス」「AXN」 などの立ち上げに関わる。 NPO法人「タイガーマスク基金」の発起人をはじめ、 文化庁、経済産 業省、総務省などの委員を歴任。 2017年、カルティエ提供「チェンジメーカー・ オブ・ザ・イヤー2016」を受賞(日経BP)。近著に『SNSで儲けようと思ってないですよね~世の中を動かすSNSのバズり方』(小学館)がある。
http://spdy.jp

名前ではなく社名で呼ばれる違和感

福田:高田さん、素晴らしくわかりやすいお話をありがとうございました。僕は今54歳なんですけれども、高田さんがトヨタをお辞めになったのがちょうど54歳。僕は52歳で前職のソニーを辞めまして、今はこんな金髪にしちゃっているんですけど、それでも以前はまともなサラリーマンだったんですよ(笑)

高田:ははは(笑)

福田:で、高田さんの類型にはまったくハマらないと思うんですけども、僕は30~40代の頃は、自分が会社員を辞めるとは思ってなかったんです。何なら社長になると信じてましたから。

高田:気づいていましたよ(笑)

福田:ははは。それぐらい図々しく、サラリーマン大好きでした。先程のお話の、ちょっと悪い人の見本になっちゃうんですけど、社内事情にものすごく詳しくて、ゴマすりも得意でした(笑) だからこの特性から考えて、社長になれなかったわけないなぁと思いながら、今お聞きしていたんですけれども…人生には「ひょんなこと」っていうのはあるものですね。高田さんもレクサスの責任者になられていろんなことがあって、「やーめた!」と思われたことがあったわけですよね。

高田:そうですね、はい。

福田:でも普通だったらそういう”いろんなこと”があっても「辞める」にまで至ることは極めて少ないと思います。高田さんの場合はどういうことだったんでしょう?

高田:宣伝とか商品企画の仕事をしていますと、トヨタの中では、わりと外部の方と一緒にお仕事をするケースが多かったんです。そうすると、外の世界の人たちの中には、フリーでお仕事をしている方や、ご自身で起業しておられる方などがいらして、そんな方々を見ていて僕はコンプレックスだったんです。トヨタの社員というのが、ですね。なぜかというと、トヨタの社員だと、人にどう呼ばれるか。愛知県ではとくにそうなんですが、「高田さん」ではなくて「トヨタさん」って呼ばれるんですよ。

福田:そうなんですか(笑)でも…言われそうですね~。

高田:だから僕、自分から「トヨタさん」を取ったら、果たして残りは何だろう?とずっと思っていました。でも、多くの人は、それを心地よく感じるんですね。「トヨタさん」と呼ばれて、ある種の生態系のトップにいるわけですよ。でも僕はそれがすごく嫌で、「いつかフリーになったら、自分はお金を稼げるんだろうか?」という思いはずっとあったんです。たぶん30代くらいからあって、40くらいのときに、「55歳になったら決めよう」と思っていました。55歳を過ぎてから準備もなく辞めるというのは、やっぱりちょっとtoo lateかなと、僕は個人的には思っていて…。いつでも遅くはないけれども、僕はそう決めていました。

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