誰よりも早く、世界の未来図を知る

誰よりも早く、世界の未来図を知る (後編)

構成:井尾 淳子
撮影:越間 有紀子
日程:2020年3月11日

小林 弘人(写真/左)

株式会社インフォバーン共同創業者・代表取締役CVO。『ワイアード』『サイゾー(2007年に売却)』『ギズモード・ジャパン』など、紙とウェブの両分野で多くの媒体を創刊。1998年にデジタルエージェンシー企業・株式会社インフォバーンを創業。2016年よりベルリンのテクノロジー・カンファレンス「TOA(Tech Open Air)」の日本公式パートナー。2017年12月、Israeli Blockchain Associationのアドバイザー、2018年より広島県のAI/IoT実証プラットフォーム事業「ひろしまサンドボックス」審査員、2019年長野県の信州ITバレー構想のアンバサダーに就任。2018年、企業と自治体のインキュベーションを支援するUnchainedを創設。近著に『After GAFA 分散化する世界の未来地図 』(KADOKAWA)がある。

福田 淳(写真右)

ブランド コンサルタント。1965年、大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業。 ソニー・デジタルエンタテインメント創業者。横浜美術大学 客員教授、金沢工業大学大学院 客員教授。ブランディング業務以外にも、女優”のん”などタレントエージェント、北京を拠点としたキャスティング業務をはじめ、国際イベントの誘致、企業向け"AIサロン'を主宰、ロサンゼルスでアートギャラリー運営、森林破壊を防ぐNPO「スピーディ・ランドトラスト」など、活動は多岐にわたっている。自社の所属アーティストとは、日本の芸能界にはなかった「米国型エージェント契約」を導入したことでも話題を呼んだ。1998年、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント社 バイス・プレジデントとして、衛星放送「アニマックス」「AXN」 などの立ち上げに関わる。 NPO法人「タイガーマスク基金」の発起人をはじめ、 文化庁、経済産 業省、総務省などの委員を歴任。2017年、カルティエ提供「チェンジメーカー・ オブ・ザ・イヤー2016」(日経BP)受賞。2012-14年、ワーナー・ブラザース「BEST MARKETER OF THE YEAR」3年連続受賞。自社の出版部門Speedy Booksより、『パラダイムシフトできてる? ポストコロナ時代へ』をAmazonより上梓。著書に『SNSで儲けようと思ってないですよね~世の中を動かすSNSのバズり方』(小学館)『これでいいのだ14歳。』(講談社)がある。
日経ウェブ「21世紀をよむITキーパーソン51人の1人」選出 (2001年)
NPOアシャンテママ 代表理事、NPO法人ファザリング・ジャパン 監事
http://spdy.jp

サンフランシスコからインドまで
~名編集者の好奇心

福田:友人で、メイクアップ&ヘアスタイリングでアカデミー賞を受賞したカズ・ヒロさんが、「個人としてのアイデンティティを確立するために、日本国籍を捨てた」とコメントしたことで、ちょっとした炎上が起こりましたよね。ご本人は気にしちゃいないと思うんですけど。そういう根無し草的な生き方、故郷を捨てることに対する批判ってあるわけなんですけど。小林さんのご著書を拝見して、場所ではなくて時間とか時代とか、そういうものの見方の問題、意識の提案をされているように思うんですよね。何か意識的に、日本人が知らない世界のことを知ろうっていうのはあるんでしょうか?

小林:そうですね、たぶん好奇心旺盛なんだと思います。

福田:しかもむちゃくちゃね(笑)

小林:ははは(笑)。日本版『ワイアード』を創刊した時も、実際はまだ、「インターネットはこれから」という時期だったんです。シリコンバレーは半導体の産業では確立された場所ではあったけれども、インターネットの黎明期にあって、まだグーグルも存在しておらず、アップルコンピュータ(当時の名称)がダントツにアイコンでしたね。あとは日本企業も点在してたので、いわゆるネクタイをしたビジネスパーソンのイメージがありました。多くの日本人のイメージとは逆かもしれません。むしろ、ベイエリア(当時のサンフランシスコ……ダウンタウン)のサードストリートやセカンドストリートに倉庫街をリノベーションしたアメリカ版『WIRED』のオフィスや変なスタートアップが固まっていたりして、面白かったですね。『WIRED』に行くと、受付のところに巨大なオウムを飼っていたりして。皆、短パンやアロハで当時のシリコンバレーよりクールだった(笑)。

福田:そうなんですか。

小林:オフィスに犬がいるっていうのも、当時はまだ珍しかったんですよね。その後、社員番号を付けるような風潮が出て来るんですけど、まだその走りだったし、全体的にはすごく自由で。「世界を変えよう」という機運に溢れていて、やっぱりそういうエネルギーのあるところがすごく好きですね。

福田:いいですよね。わかります。

小林:急にインド映画の話になりますけど。デリーじゃなくて、チェンナイばかり行くのも、日本人が少ないという点が気に入ったというか(笑)。映画『ムトゥ踊るマハラジャ』の主演で、ラジニカーントというスーパースターがいまして。彼は映画のタイトルよりも先に「スーパースター」っていうクレジットが流れるんですよ。それも、1分くらい(笑)

福田:ははは!!

小林:日本人のジャーナリストとして、たぶん僕はラジニカーントのバンガロールにある別荘でトイレもお借りした最初の日本人じゃないでしょうか(笑)。あと、映画『スラムドッグ$ミリオネア』のサントラを監修したり、U2とも共演したりしているミュージシャン、A・R・ラフマーンも取材させていただいて。彼は『踊るマハラジャ』の音楽も手掛けたんですけども。

福田:すごいですね!

小林:インド映画というと、皆「ボリウッド」とひとくくりにされますが、本当は「トリウッド」「コリウッド」などの撮影所の場所によって呼称は異なります。チェンナイは「コリウッド」なんですね。

福田:はぁ~! 3つも映画の都があるんですね。だって、興行収入がすごいですもんね。

小林:はい。コリウッドはタミール語圏です。タミール語での映画の配給ネットワークなので。だから英語で発信するハリウッドの次にタミール語映画がやっぱりそこそこの規模をもっているわけです。ところが日本人が観ている岩波ホールのインド映画は北のほうの芸術映画だから、全然違うんですよね。

福田:なるほど! 南のほうは、もっとはっちゃけてるんですか? 

小林:南のほうは、当時はまだ今のように経済成長していない時だったから、庶民は冷房が効いている映画館に涼みに行って、そこで楽しむんですよ。で、インターミッションの間にチャイを飲んで、また見る。3時間くらい。だからもう、「アクション・ラブ・ダンス」と、全部入りなんです。

福田:全部入ってなきゃダメなんですね。1日の生活だから。

小林:そう、入ってなきゃダメなんです。で、それがかえって日本人には新鮮だったので、映画評論家の江戸木純さんが発掘して、『踊るマハラジャ』のような作品が日本でも大ヒットしました。でも「アクション・ラブ・ダンス」は基本的なテンプレートなんです。だから先述のスーパースター・ラジニカーントは、「ああいうのに出るのはもう嫌だ」とか話していましたよ(笑)。本人は飽きていて、もうちょっとシリアスなものやクリエイティブな作品に出たかったようですけど。でもあの人は大衆のヒーローなので、そこのミッションは本人も引き受けているわけです。そこが彼のまた素晴らしい点です。お会いした方々のなかでも、やっぱりすごい人間力のある人でした。スーパースターなのにぜんぜん奢っていない。バスの運転手だったところをスカウトされた人なんですよね。

福田:すごい……。大出世物語なんですね。

小林:そうなんです。で、それを見出した映画プロダクションの息子さん、カンダスワーミさんが運営しているプロダクションが『踊るマハラジャ』を製作しました。今彼はIIT(インド工科大学:Indian Institutes of Technology)という、インドの東大みたいなところでエンターテインメントに関するビジネスを教えていたりして、それもまた興味深いです。

福田:小林さんの好奇心は、サンフランシスコからインドまで。すごいな。

小林:さらに北西のベルリンもいれておいてください(笑)。

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