カルト宗教を自力で抜けた男が語る
洗脳・国家・「寂しさ」の本質とは(前編)
編集・構成:井尾淳子
撮影:越間 有紀子
日程:2022年8月25日
佐藤 典雅(写真/左)
1971年広島県生まれ。株式会社1400グラム代表取締役。少年期の大半をアメリカで過ごし、ハワイの高校を卒業。グラフィックデザイナー、医療コンサル営業、BSデジタル放送局を経てヤフーに入社。05年、ブランディング社へ入り、LAセレブ、東京ガールズコレクション、キットソン等のプロデュースを行う。 また、当時4歳だった自閉症の息子のため、家族でアメリカ・ロスアンゼルスに転居。9年間の療育体験を経て帰国し、発達障害の子どもをサポートする『株式会社アイム』を設立し、放課後等デイサービスの運営を開始。2015年、第4回かながわ福祉サービス大賞、特別賞受賞。日本の福祉についてのアンチテーゼとして書いた著書『療育なんかいらない! 発達障害キッズの子育ては、周りがあわせたほうがうまくいく』(小学館)のほか、九歳から三十五歳までエホバの証人として教団活動していた信者の日常、自らと家族の脱会を描いた『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間のすべて』 (河出文庫)がある。
福田 淳(写真/右)
連続起業家
1965年、大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業。
ソニー・デジタルエンタテインメント創業者
横浜美術大学 客員教授、金沢工業大学大学院 客員教授。
女優”のん”などタレントエージェント、ロサンゼルスを拠点としたアートギャラリー、パームデザート、沖縄でのリゾートホテル運営、大規模ファーム展開、世界33カ国での出版ビジネス、エストニア発のデジタルコンテンツ開発、スタートアップ投資など活動は多岐にわたる。 日本の芸能界にはなかった「米国型エージェント契約」を導入したことでも話題を呼んだ。
1998年、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント社 バイス・プレジデントとして、衛星放送「アニマックス」「AXN」 などの立ち上げに関わる。
カルティエ「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー」受賞 (2016年)
ワーナー・ブラザース「BEST MARKETER OF THE YEAR」3年連続受賞 (2012-14年)
日経ウェブ「21世紀をよむITキーパーソン51人の1人」選出 (2001年)
文化庁 「コンテンツ調査会」委員
経済産業省 「情報大航海時代考える研究会」委員
総務省 「メディア・ソフト研究会」委員
著書
『ストリート系都市2022』(高陵社書店)
『スイスイ生きるコロナ時代』(髙陵社書店) 共著 坂井直樹氏
『パラダイムシフトできてる?』(スピーディ出版)
『SNSで儲かるなんて思ってないですよね?』(小学館)
『これでいいのだ14歳。』(講談社)
『町の声はウソ』(サテマガ)
(株)スピーディ 代表取締役社長
Speedy Gallery Inc. (CA, U.S.) - President
Speedy Euro OU - President
NPO「アシャンテママ」 代表理事
公式サイト:
http://AtsushiFukuda.com
YouTube対談動画
https://m.youtube.com/@talkedjp
19歳で教団の幹部候補生になった
福田:本日のゲストは、“ノリちゃん”こと佐藤典雅さんです。付き合いも長いので、ノリちゃんと呼ばせてもらいますが、僕たち、じつは、日本でYouTuber第1号じゃない? 2011年から2人のYouTubeチャンネルを1年間で65話も配信したんですよ。誰も見てないときに(笑) 【時事放談フクノリ】 第01「読売新聞読者を探せ!」 (2011.10.22日号)
佐藤:そうですよ!
福田:あの熱量は凄かったな、と。…ということで今日はよろしくお願いします。改めてご紹介をしますと、ノリちゃんは面白いプロフィールなんだよね。ハワイ生まれだっけ?
佐藤:広島です。生後すぐロンドンに引っ越して、そのあと東京の小金井、そのあとロス、アーバイン、サンディエゴ、ニューヨーク。高校1年のときにニューヨーク、高校2年が東京で、高校3年がハワイ。で、そのあとブルックリンに行ったんですよ。そのあと横浜に行ってまたロスに行って、今は川崎。
福田:日本におけるユダヤ人、流浪の旅だね。
佐藤:ヒッピーですよ。
福田:仕事歴は、最初グラフィックデザイナーから医療コンサル営業。…って、どういうこと?
佐藤:それは丁稚奉公から始まったんです。高卒で社会を何も知らなかったし。Apple製品は高いけど、コンピューターを触ってみたい。でも学校に行くのは時間もお金もないから、デザイン事務所を見つけて、「丁稚奉公でタダでいいから働かせてくれ」と。「いいよ」って言われたところにポンと入って、朝ごみを捨ててほうきで掃いて、そこからMacの電源のつけ方から覚えよう、みたいなことから始まって。そこから1カ月、朝から夜までずっとシステムのバグを直すところから始めました。25歳のときです。
福田:25歳からというと、社会人になるのは遅かったの?
佐藤:今日のテーマでもあるんですけど。僕は9歳から35歳まで、「エホバの証人」の教団活動をしていたんです。だから高校を出たときも「大学に行っちゃ駄目」と、僕が子どもの頃から宗教に入っていた親から反対されたんです。大学には行かずに、教団の本部に行け、と。それで僕はハワイで高校を卒業したあと、教団の本部があったブルックリンに4年間いたんです。 教団はお金があるので、当時はブルックリンのど真ん中、川沿いのいいところの土地を押さえていたんですよね。で、3000人くらいで共同生活をして、みたいな。僕は19歳で、おそらく最年少で入ったんですよ。普通は入りたくても入れないんです。日本人で入っているのも、本当に数人しかいなくて。
福田:それはなぜ? エリートじゃなきゃ駄目だから?
佐藤:まず1つは、アメリカ国籍で、永住権がないと入れない、という決まりがあるから。それでもウェイティングリストが3年待ち、とかなんですよ。
福田:そんな憧れの幹部にわずか19歳で。教団の中でもエリートだったんだね。