広告を語ることは、世の中を語ること。~広告界の巨匠に聞く、「夢中」の見つけ方(前編)

広告を語ることは、世の中を語ること。
~広告界の巨匠に聞く、「夢中」の見つけ方(前編)

編集・構成:井尾淳子
撮影:越間 有紀子
日程:2022年12月16日

杉山 恒太郎(写真/左)

株式会社ライトパブリシティ 代表取締役社長
1948年東京生まれ。立教大学卒業後、電通入社、クリエーティブ局配属。90年代にカンヌ国際広告祭国際審査員を3度務めたほか、英国「キャンペーン」誌で特集されるなど、海外でも知られたクリエイター。99年よりデジタル領域のリーダーとしてインターネット・ビジネスの確立に寄与。トラディショナル広告とインタラクティブ広告の両方を熟知した稀有なエグゼクティブクリエーティブ ディレクター。電通取締役常務執行役員等を経て、2012年ライトパブリシティへ移籍、15年代表取締役社長に就任。
主な作品に小学館「ピッカピカの一年生」、サントリーローヤル「ランボー」、AC公共広告機構「WATERMAN」など。
カンヌ国際広告祭ゴールドほか、国内外の受賞多数。18年ACC第7回クリエイターズ殿堂入り、22年「全広連日本宣伝賞・山名賞」を受賞。

福田 淳(写真/右)

連続起業家
1965年、大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業。
ソニー・デジタルエンタテインメント創業者
横浜美術大学 客員教授、金沢工業大学大学院 客員教授。
女優”のん”などタレントエージェント、ロサンゼルスを拠点としたアートギャラリー運営、バケーションレンタル事業、沖縄でリゾートホテル運営、大規模ファーム展開、エストニア発のデジタルコンテンツ開発、スタートアップ投資など活動は多岐にわたる。 自社の所属アーティストとは、日本の芸能界にはなかった「米国型エージェント契約」を導入したことでも話題を呼んだ。
1998年、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント社 バイス・プレジデントとして、衛星放送「アニマックス」「AXN」 などの立ち上げに関わる。
カルティエ「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー」受賞 (2016年)
ワーナー・ブラザース「BEST MARKETER OF THE YEAR」3年連続受賞 (2012-14年)
日経ウェブ「21世紀をよむITキーパーソン51人の1人」選出 (2001年)
文化庁 「コンテンツ調査会」委員
経済産業省 「情報大航海時代考える研究会」委員
総務省 「メディア・ソフト研究会」委員
著書
『ストリート系都市2022』(高陵社書店)
『スイスイ生きるコロナ時代』(髙陵社書店) 共著 坂井直樹氏
『パラダイムシフトできてる?』(スピーディ出版)
『SNSで儲かるなんて思ってないですよね?』(小学館)
『これでいいのだ14歳。』(講談社)
『町の声はウソ』(サテマガ)

(株)スピーディ 代表取締役社長
Speedy Gallery Inc. (CA, U.S.) - President
Speedy Euro OU - President

NPO「アシャンテママ」 代表理事
NPO「ファザリング・ジャパン」監事

公式サイト:
http://AtsushiFukuda.com
YouTube対談動画
https://m.youtube.com/@talkedjp

福田の広告キャリアは「プロマネ」がスタート

福田:本日お迎えするのは、株式会社ライトパブリシティ代表の杉山恒太郎さんです。本日はお時間いただき、本当にありがとうございます。 ちょうど飛行機の中でご著書『広告の仕事~広告と社会、希望について~ (光文社新書)』を拝読しました。もうむちゃくちゃ感銘を受けまして、機内から対談のオファーをさせていただいた次第です。クリエイティブやマスコミ業界関係者、またそれ以外の人でも、とくにスタートアップの人は「この本を知らないとダメ!」と思いました。

杉山:それはうれしい。ありがとうございます。

福田:僕自身、広告については、東北新社が社会人としての最初のキャリアだったので、入社当時はCMのプロダクションマネージャー(*1)、いわゆるプロマネだったんです。でも当時の社長の故・植村伴次郎さん(*2)が「オレはCMプロダクションのオヤジで終わりたくない!」「テレビ局を作るんだ」とおっしゃって、CMは入社1年目だけで、すぐに新設された衛星放送部門に配属されました。そこからは植村さんの鞄持ちとして可愛がっていただいて、9年間、カンヌだ、ミラノだ、ハリウッドだと世界中を飛び回っていました。

杉山:それはきっと、植村さんの素晴らしいネットワークに触れたでしょう? あの時代で、あんなにハリウッドの中に入っていらした方は、おそらくその以前は誰もいなかったと思います。

福田:本当にそうです。とにかく植村さんとずっと一緒にいるわけなんですけど、ある時、女優のメラニー・グリフィスが「借りていたお金を返します」と言って訪ねてきたんですよ。メラニー・グリフィスにお金を貸していた日本人って……それだけですごいじゃないですか。

杉山:いや、すごいですよね。植村さんはもともと新橋でCOMOというバーをやっておられて、それがネットワークの始まりだったんですよね。なかにし礼、石原慎太郎……錚々たる文化人が集っていたから。

福田:黒柳徹子さん、浅利慶太さんなどもいらっしゃっていて。その時代のことをもちろん僕は知らないわけなんですけど、植村さんから学んだすべてが、ずっと僕の経営の基礎になっているんです。

(*1) 映像制作の企画から納品まで全てに携わり制作進行やマネジメントを行う仕事で通称プロマネ(PM)

(*2)参照「東北新社 創業者 植村伴次郎さんのこと」)

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