学んだのは「逆境パッション」!
難民とつくるカラフルなセカイ(後編)
構成:井尾 淳子
撮影:山本 ヤスノリ
日程:2019年1月15日
渡部 清花(写真左)
WELgee(ウェルジー)代表理事。1991年、静岡県生まれ。東京大学・大学院総合文化研究科・国際社会科学専攻。人間の安全保障プログラム修士課程。大学時代はバングラデシュの紛争地にてNGOの駐在員。トビタテ!留学JAPAN1期生。バングラデシュ、国連開発計画(UNDP)元インターン。Makers University 1期生。2016年に任意団体WELgeeを設立、2018年2月にNPO法人化。フォーブスジャパン主催「日本を代表する30歳未満の30人」に社会起業家部門で選出。祖国の平和の担い手となる難民の若者たちが、未来を描き活躍できる機会と仕組み作りを目指す。毎週水曜日、「東京新聞」「中日新聞」の夕刊1面のコラム欄を担当。
https://welgee.jp
福田 淳(写真右)
ブランド コンサルタント。1965年、大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業。 ソニー・デジタルエンタテインメント創業者。 横浜美術大学 客員教授、金沢工業大学院 客員教授。 1998年、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント社 バイスプレジデントとして、衛星放送「アニマックス」「AXN」 などの立ち上げに関わる。 NPO法人「タイガーマスク基金」の発起人をはじめ、 文化庁、経済産 業省、総務省などの委員を歴任。 2017年、カルティエ提供「チェンジメーカー・ オブ・ザ・イヤー2016」を受賞(日経BP)。近著に『SNSで儲けようと思ってないですよね?世の中を動かすSNSのバズり方』(小学館)がある。
その場しのぎの「移民法」
福田:日本は去年、たった20人しか難民を受け入れてないけども、もっと受け入れるべきだって思いますね。20人って聞くとひどい感じがしますけど。
渡部:「難民」を受け入れるべきというより、もっといろんな受け入れ方があると私は思っていて。難民という枠組みで受け入れるのには、「難民認定」っていう方法に乗らなきゃいけないし、ということは、法務省の厳しい認定の要件をクリアする必要がある。でもそれだけではなくて、難民条約そのものが守れる難民の幅も完璧ではない。日本の政策だけでもどうにもできないんですよね。
でも難民の人たちと話してみると、「シリアの国営テレビで働いていました」とか、「アフガニスタンで通訳として働いていました」とか、「カメルーンで貿易の会社をやっていました」という人たちがいるんですね。今、そういう人たちと一緒に活動しているんですけども。彼らが、「2019年のカメルーンにはもういられない」って思ったときに、たんに命をつなぐだけじゃなく、自由な選択の先にある「やりたいこと」を探っていきたいんですね。
福田:なるほど。キャリアと選択肢ですね。
渡部:そうなんです。日本が将来の夢やキャリアをつなぐ先になっていったら、「難民として受け入れます」ではなくて、彼らを移民として受け入れることもできていくわけで。先日、法案の改正がありましたけど、「移民は受け入れません」「移民ではありません」と言い通し続けていると、彼らのキャリアアップが全く不可能になってしまう。
福田:「難民」と「移民」の分かりやすい違いはとは何でしょうか。
渡部:「難民」=国に戻れない人たち。「移民」=移動する人たち、ですね。
福田:1年間、住んでいたら移民ですか。
渡部:国際的な基準では、そうですね。
福田:じゃあ今度の安倍内閣の入管法改正法案では、海外からくる人たちは5年間いるから、そういう意味では移民ですね。
渡部:移民ですね。でも日本国的には移民じゃない。つまり日本が欲しいのは労働力。生活者として受け入れる気はありませんっていうことですね。
福田:なるほど。分かりやすい。生活者として受け入れると、日本国民に悪いからみたいなことが透けて見えるというか。
渡部:生活者として受け入れると、彼らは労働力ロボットじゃないので、当然人と関わるし、言語、ゴミ捨て、暮らし、子どもみたいなことも出てきますよね。 5年間も近い関係で一緒に仕事する人がいたら、しかも20、30代の若い人たちを受け入れたら仲良くなる人もいるし、結婚する人も出てくるんですけど、「そういうことは想定していないので安心してください」っていう意味だと思うんですね。
福田:5年たったら、日本政府はその人たちを出せないでしょう。
渡部:出さなくなっていくと思います。過去、日系ブラジル人のときの想定がそうだったので。あのとき、国は一時的に労働力だけが欲しかったんですけど、彼らは家族を作って、日本に定住したいとなったんですね。
で、リーマンショックが起こって、日本の会社の下請け会社で働いていた人たちは、日本人が解雇される半年前ぐらいから非正規雇用者の人はみんな軒並み首を切られていて。お父さんは仕事がなくなる、アパートは解約する、でも住む所はないから、県営の団地に3家族ぐらいで住んでいたりして。当時、私は浜松にいたんですけど、日系ブラジル人の友人の家に誕生日パーティーで行ったときに「生活保護の申請書を読むのを手伝って」と言われたことがありました。さすがに財政的に、自治体が生活保護で彼らを支えることは難しいので、国の帰国支援が始まって。「30万円渡すから、国に帰ってください」だったんですよ。
福田:30万。
渡部:30万円というのは、ブラジルまでの片道切符の金額です。当初は「そのかわり日本に2度と入国しない」という条件付きだったんです。だから本当の使い捨てがそこに見えていて……。家族もばらばらになってしまったり。
福田:家族を日本に残して一旦国に帰っても、また戻ってはこれない。
渡部:さすがに「2度と戻るな」というのは国際人道的におかしいとなって、その条件は外れました。確か「5年間は入国しない」とかになったと思うんですけど。 でも日本で育った日系ブラジル人の子たちも地元の公立学校に通っているから、友達もみんな日本人でポルトガル語はあまり分からない。今からブラジルの学校に転入しても、「日本でこの高校に行きたかったのに」という思いも全部絶たれてしまうんですよね。しかもそれには一貫した国の政策がなかったので、言語や生活サポートは自治体やボランティアまかせというか。人の移動って、そんなに甘くないと思うんですよね。
福田:それがリーマンショックの後に起きたことですよね。日本はそれを一度経験しているのに、今度の入管法改正法案でも「5年たったら、もう滞在させませんから」と言っていると。むちゃくちゃですね。
渡部:なぜそういう声が届かないのかというと、そういう渦中にいる人たちには参政権がないので。参政権のない人たち、つまり難民や移民をどっさり受け入れるということは、ちゃんと国に意見を言える人たちが政策をつねにウォッチして考えないと、トップダウンで終わってしまって、かつてのようにまた使い捨てて戻らせる……っていうことになってしまうと思うんです。
(渡部さんが連載担当をしている「東京新聞」「中日新聞」の夕刊1面のコラム。毎週水曜)