logo

クリエイティブとは、最も個人的なこと

“のん”という熱量が生んだ映画『Ribbon』製作統括・福田 淳×エグゼクティブ・プロデューサー・宮川朋之  Talked.jp

福田:これまで宮川さんのもとに持ち込まれてきた脚本や企画とは、今回の作品は異なる存在に映りましたか?

宮川:全然違いました。とくに先程の熱量の部分。テンプレートに当てはめたものではない、というところですね。福田さんがおっしゃる「設計図なき家の建築」のように、役者がこうだとか、プロダクトがこうだとか、「そんなことはどうでもいいじゃないか」と僕も思うわけです。そういう、土手ばかりが固められていて本質的なものが伝わってこないプレゼンテーションとは違いました。
脚本は大抵どこかで読んだことがあるものや、役者やプロダクトを優先させ本質ではないところが固められたものなどが多いですが、のんさんの脚本はそんなものが全くなく、異色に映りました。岩井俊二監督や杉田成道監督とお仕事させていただく感覚に近いものを感じましたね。

福田:「熱量がある」というのは、テレビメディアを主とした大衆性とは違うということでしょうか。

宮川:のんさんご本人の視点は、全然マイナーではなく、むしろメジャーだと思います。やっぱり全国区の朝ドラ、連続テレビ小説『あまちゃん』で主役を張って、あれだけ多くの人に認知され、女優として日本のみならず世界中から注目された方なので、雲の上からの視点を持っている……というのでしょうか。コロナ禍で学生生活が奪われている中、美大生に焦点を当てて、「卒制ができない」という苦しみをテーマにもってきて、そこを映画にしたいという発想は、これまでの脚本家にはなかったのではと思います。そして、アプローチが普通じゃない。のんさんが作品化にあたり、「蘇生できない苦しみを映画にしたい」と言われたのですが、そんな言葉、絶対に出てこないですよ。こんな人、日本にいないですよ。この感性は、大きな成功体験があるからこそ培われたものだと思います。

福田:のんが『Ribbon』を作ろうと思ったのは、卒業制作展が中止になり、「1年かけて制作した作品がゴミのように思えてしまった」という美大生の言葉を聞いたから。
そういう、コロナ禍でアイデンティティを喪失する物語ということもあって、昨年末には東京藝術大学で、伊東順二特任教授による『Ribbon』の藝大生限定試写会とトークイベントの特別講座を企画していただきました。共鳴共感はもちろん、手応えのある反応がものすごくありましたね。
スペイン風邪から100年経って、僕たちは今、コロナ禍という100年に一度の経験のさなかにいる。なので、その足跡が残るということは、ここからまた100年後の人たちにとっても意味があるテーマだったと思います。スコセッシの言葉と同様に、非常に個人的なイシューですよね。

宮川:同感です。

福田:21世紀になってインターネットの時代がきて、そしてコロナになって……。世の中は激的に変わりました。エンタメにおいてはその象徴として、Netflix製作の韓国ドラマ『イカゲーム』があると思います。あらすじはここでは省きますが、これまではハリウッドに行かなければ、グローバルなコンテンツを製作することは難しかったじゃないですか。冒頭でお話した植村伴次郎さんのイノベーションのように。けれど今はNetflixのようなプラットフォームがあることによって、極めてローカルで個人的な出来事も、グローバルに響く作品として世界中に発信することが可能になった。僕は『イカゲーム』の成功は、そこにあると思っています。
けれど一方で、日本のエンタメにはまだまだ課題がある。あえて作品名を挙げますけれども、たとえば、Netflixで配信されたドラマ『日本沈没』は、『イカゲーム』と同じ棚に並んでいるということのリアリティを、まったく持っていないのでは?と感じました。というのは、Netflixオリジナルのドラマの作法を全然考察していなくて、地上波と同じ感覚で作っているということ。1エピソードごとに盛り上がりをつけたり、最終話を長尺にしたり。視聴者が「イッキ見」している時代に、それは意味がない作り方なんですよ。

宮川:地上波のドラマのように、「続きは次週」という作法のまま、ということですよね。

TOPへ