logo

分かりやすさだけでは身にならない

いま、必要な「エリート論」~マクロン大統領とナポレオンの戦略  Talked.jp

芳野:文学をやっている私が、組織の役員をさせていただくようになると、遅ればせながら「どうやって財務諸表を見るんだ」とか、「ここがクロスしたらどれだけ赤字が減るか」とかやるんですけど、でも、それは学べないことじゃないなと思って。もちろん最初はなにも知らないですから、まず私を抜てきしてくださった方々はすごいなと思うんですけど。

福田:組織の関わりというと、最初はどこだったんですか。

芳野:最初はセゾン現代美術館の理事でした。

福田:最初がセゾン現代美術館という一流の組織。すごいですね…。

芳野:さっきのナポレオンの話とかって、やっぱり人間を読み、社会を読むことですよね。その能力のほうを先に開花させておかないと、しっかり訓練をしておかないと、何を見ても、福田さんのおっしゃる「パターン認識」になってしまうのかも。目の前にあるものを、自分で本気で読んで解釈して動く力って、読書からのほうが身に付くんじゃないかなと。パターンを覚えるわけじゃないですから。だって明らかに、ドストエフスキーとかプルーストとかシェークスピアみたいな天才がやることは、私の想像やパターンを軽く超えている。世界そのものと同じぐらい、深くて広くて豊かで、パターン化なんてぜったいできない。それと向き合うことで養われる力って、あるんじゃないかなと。私の場合は、そんな感じで文学が世界の教科書になったけど、それが映画である場合もあるだろうし、思想である場合もあるだろうし、美術とか音楽である場合もあると思います。あまり分かりやすいものとばかり向き合っていると、世の中がぜんぶパターンでわかる気がしてしまうかも。でもそうじゃない状況が危機なわけで。危機を乗り越える力って、自分の無力を感じながら、絶望しながら、クレイジーな天才たちが作ったものと向き合うしかない。

福田:そのほうが開花する可能性が、逆に高い、と。

芳野:危機というのは絶望的な状況だから。私が十代のとき、プルーストと出会ったことも、ある意味では危機だと思います。絶対にかなわないし、絶対に私の理解を超えている。でも、できる範囲で知ろうとして、まず謙虚になると思う。そしてその圧倒的にすごいものをしっかり認めるために、やっぱり向き合おうと。そういうすごいもの、芸術だったり、思想だったり、音楽だったり、なのかな。人だったりもするかもしれないんですけど。

福田:それはすごく分かりやすかったです。

芳野:でないと、結構パターンって後からでもいくらでも入ると思うんですよ。

福田:だから、特別科学組の話にありましたけど、「競争に負けても楽しい」と思えるんですかね。かなわないものを知るっていうところ。

芳野:そうですよね。やっぱり向き合おうと、楽しむ意思を持つという。

福田:でも、今、全然違うじゃないですか。っていうか、分かりやすいものしか、みんな受入れないじゃないですか。困難とか難しいことの方向にいかないから、本も読まないし。いろんな感性の範囲で言うと、やっぱり一番、文学は大事ですね。本読む。やっぱり文学と向き合う。そこが一番の肝かな。

芳野:簡単に覚えられるパターンみたいなことって、かえって効率が悪いと思うんです。自分を遠くまで連れて行ってくれない。

福田:その感覚、わからないでしょうね、普通。

TOPへ