家の中から、外へ、街へ。時代の「気配」をつかむコツ
福田:以前、泉麻人さんの企画で、吉祥寺の井の頭公園とか原宿で妙なアクセサリーを売っていたり、へんちくりんな芸をやっている人たちを一通りインタビューして、5年後その人たちがどうなっているか追ったら、みんなそれなりにそれで食っていけているという本がありました。中でも一番おかしい人は、普通の卵をそのままの状態で路上に並べて売っていた青年。この青年が後にちゃんと社会人になっていたんですよね。「なんで生卵を並べて売っているの?」って聞くと、「面白いかなと思って」と答えていた青年なんですけど。
並河:その後どうなったんですか。生卵を売り続けて。
福田:生卵とは関係ないんだけども、何かの自営業をやってそれなりに暮らしていることが分かったっていう。つまり、これは引きこもりと逆で、「取りあえず外に出てみよう」っていうことだと思うんです。ソーシャルデザインもそうですけど。今までは家の中にいてできるマーケティングがイケていたんですよ。任天堂がファミコンを出したら、家でできるから、ゲーセンに行かなくていい。これは画期的だったわけですよね。もし19世紀だったら、金持ちのパトロンが庭にいっぱい楽団を呼ばないと音楽を聴けなかったのが、ウォークマンによって、歩いて音楽聴くことができるようになった。でも今は価値観もいろいろだから、「小ロットで多様化して、外に出ていく」というのが、ソーシャル時代の在り方の一つのイメージなのかなと思ったりしますね。
並河:ストリートって憧れますよね。僕はコピーライターなので、ストリートでコピーを書くことはないじゃないですか。だけどミュージシャンって、ストリートで歌っていたりするじゃないですか。だからあれにすごく憧れて。道端でコピーを朗読するのは、ちょっと気持ち悪い人になっちゃうのでできないんですけど、以前六本木のミッドタウンの着物フェアで、詩の朗読をしてくれませんかみたいな話があって。
福田:受けたんですね、そもそも、その仕事を。
並河:はい。でも、もう1人ライブペインティングをやる新見文さんというイラストレーターの方がいて、当初はその方がライブペインティングをしながら僕とトークショーをやるっていう話だったんですけど、いざ始まったらライブペインティングが忙しくて、僕が話しかけても「ちょっと今忙しいから」みたいな雰囲気になっちゃって。でも、お客さんがいるじゃないですか。それで追い詰められて、用意した詩を3本ぐらい読んだんですね。でも詩は短いから、3本ぐらい読んでもすぐ終わっちゃって、酔っぱらったお客さんから、「つまらねーぞ」とか声が上がったりして。
福田:ライブ感ありますね。
並河:ライブ感あるんですよ。それですごく頭を働かせて、酔っぱらいのお客さんに、「じゃあ、お題を出してください」って言って、その場で詩を書いて読んだんです。そしたら、結構拍手をもらったりして。こういうライブ感って大事だなとその時思いましたね。広告やマーケティングも、会議室の中だけで話すようになるとひ弱になっていくというか、「ガッツリしたおいしさ」みたいなものがなくなっていく気がします。まずい日本料理よりも、どんぶりとかの大衆料理のほうがおいしかったりするじゃないですか。そういうどんぶり料理的な力強さみたいのが、広告やマーケティングの世界になくなってきているんじゃないかなと。さっき福田さんがおっしゃった、露店でものを売っていた人が何かしら形になったというのは、自分で何かそこにものを並べてみて、人がそこに注目して、それにどんな価値を持つかっていうその肌感覚が、生きていく上で役に立っているんじゃないかなっていうふうに思います。
福田:僕が並河さんを好きだなと思うのは…なんていうと偉そうですけど、常に気配とか直感を磨いていらして、街に出てその匂いを感じながらアイデアを発想されているところなんですよね。
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ソーシャルデザイン入門【後編】