『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』を生み出した伝説の編集者、内田 勝からラストメッセージ

Talked.jpby Sony Digital Entertainment

『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』を生み出した伝説の編集者、内田 勝からラストメッセージ

これは、あくまでも例え話ですが、「B」の映像世代は、「昆虫世代」なんです。 そうするとみんなに判りやすく話が出来ると思います。

どういうことかと言いますと、人間の場合、触ると冷たいというのが、ピャッと末梢神経からきて、中枢神経から脳に行って、冷たいという情報がそれこそ線的につながる、伝わっていく訳ですね。 そうすると脳みそのほうでは、冷たいから手を放せと、指令が、またずっと行って、それで手を放す、これが線的情報伝達です。これは人間の情報伝達の基本です。 というのは、言葉というのは論理ですから、さっき話したように、「春が来て、暖かくなって、上野の桜が咲いた」。これは論理です。線的なんです。

それに対して虫、昆虫というのはどうなっているかというと、虫というのはカラ、甲羅でおおわれていて、人間や、他の哺乳動物のように、神経が枝葉に分かれていないんです。 ですが、実際にゴキブリとかを捕まえようと思うと、中々捕まらない訳です。 トンボを捕まえるのでも、一生懸命指を回して、目を回そうとしても、手をヒュッと伸ばすと、トンボはピョンと飛んで行ってしまう。チョウチョだって中々捕まえることが出来ません。

あれはどうなっているかと言いますと、昆虫と人間の違いです。 人間は単眼なんです。単眼と言っても2つありますから、単眼と単眼です。 昆虫というのは複眼と言いますね。目玉の中に小さい目玉がいっぱいある訳です。 これに加えて、触覚があります。 昆虫は触覚をもいでしまうと身動き出来なくなります。 それ程、重要な器官なんですが、一方、人間には触覚がありません。

それで情報伝達なんですが、人間の場合は何度も言っているように論理、線的情報伝達です。 それに対して昆虫というのは、内分泌ホルモンの働きで、カラの中へ一瞬にして情報が伝わります。 だから昆虫を捕まえようと思っても中々捕まらないのは、情報伝達のスピードが違うんです。 人間が虫を捕まえと思っても、虫がいたという指令があって、手を伸ばして捕まえろという具合に、時間がかかってしまうんです。 虫は、敵が近づいてきた、それ逃げろというので、内分泌ホルモンの働きで、瞬発力が速いです。 これを人間の言葉で言うと、直感的に行動するということです。

そこで僕はハッと思ったんです。 ちょうど『ホットドッグ・プレス』創刊の仕事をこれから始めようという時に、どうも『少年マガジン』の時の読者と、『ホットドッグ・プレス』の読者は、年齢層とかは同じなんだけども全然違う。どこがどう違うのか考えてみたら、これなんです。 1979年の若者たちというのは、これはアナロジー、さっきの例え話なんですが、「昆虫の世代」、「昆虫的」と考えるとわかりやすいのじゃないかと思ったんです。

それでさっき話したように、『少年マガジン』・団塊の世代は「愛と連帯」とやっていましたが、『ホットドッグ・プレス』の頃は、人のことよりも、自分の好きな関心領域に閉じこもるオタク的な人たちが、高校生、大学生になった頃だったんです。 それを見ていると、小学生、中学生くらいから、みんな子供部屋を持っているんです。 団塊の世代、ベビーブーム世代は子供部屋なんてありませんでした。 子供の数も多かったので、兄弟が同じ部屋で、一緒くたの状態だったんです。 ところが60年代、高度成長でだんだん家にも、子供部屋を作るようになりました。 子供の数もだんだん減ってきましたね。 例えば僕の息子は男の子3人ですが、ちらっとのぞいてみると、子供部屋の中に閉じこもってばかりです。 僕の家は僕自身が設計して、子供部屋は明るくといって一生懸命窓を大きくしたのに、昼間からカーテンを閉めたり、ポスターを張ったり、鍵をかけたがる訳です。 僕の家では子供部屋に鍵はかけさせませんでしたが、僕の友達はの家庭では、親子げんかがしょっちゅうだったそうです。 「鍵をかけたい」、「鍵なんかかけて何を考えているんだ」と親父が怒って、最近親子の間柄がおかしくなったという話は、当時随分、僕の友達から聞かされました。

そこで、子供部屋というのは甲羅じゃないかと思ったんです。 もうちょっと観察してみると、子供部屋に閉じこもって、まだパソコンなどは勿論無かったんですが、オーディオ機器、当時はFMのエアチェックをして、ヘッドホンで1人で聴いたりとか、あとは自分専用の電話を欲しがったりしました。 テレビも、昔のベビーブーム世代までは、家族で1台のテレビで、みんなで「紅白歌合戦」を見ていたんですが、彼らは自分の部屋にテレビを欲しがって、自分の好きなものを見る訳です。ソニーとかのハードウェア、情報機器で、完全武装しているわけです。 それは昆虫の複眼とか触覚といった感覚器官に当たるのじゃないかと思ったんです。

ではなぜ甲羅が必要なのかといいますと、哺乳類などは、ある程度までは、どんどん体が大きくなります。 象のような巨大な動物もいます。 が、一方、昆虫は大きくなれないんです。 みんな小さいですね。

小さいということは、敵が多いということで、食べられちゃう訳です。 ですから甲羅で身を覆って、自分を守るようになったんです。 甲羅で身を覆うと、敵に喰われにくくはなるんですが、困ったことに、敵が近づいていても気が付くのが遅くなります。 そこで今度は、目が複眼になったり、触覚を延ばしたりして、回りの情報を瞬時にしてキャッチして、内分泌ホルモンの働きでぱっと行動できるようにして、それで進化の歴史を生き延びてきたという訳です。

光と情報のラッシュにさらされる子供たち

今の子供たちはどうなのかといいますと、光、そして情報のラッシュにさらされています。
昔、ベビーブーム世代が育った頃は、まだ家の中は真っ暗で、6畳間に60ワットの電球が1個だったんですが、60年代以降は蛍光灯が登場して、部屋自体が明るいんです。 家の中が明るくなって良かったと大人は喜んでいるんですが、子供は鋭敏で、感受性が強い。ですからあの光にはものすごくプレッシャーを感じたろうと思います。明る過ぎるんですね。 あとは音です。 大人になると耳もちょっと遠くなってくるから、都会の騒音もだんだん聞こえなくなってきて、たいして気にならないかもしれませんが、子供の時は音に敏感なんです。 都会のすさまじい騒音には耐えられないと思います。

それから一番大事なのは情報のラッシュです。 「情報化社会」という言葉を日本のマスコミで一番最初に取り上げたのが『少年マガジン』です。 大伴昌司の巻頭グラビア、「図解特集」です。 日本の新聞、雑誌で、「情報化社会」という言葉をまともに取り上げた最初が、『少年マガジン』だったんです。 それが1970年。電通の人から『少年マガジン』を見て、なるほど「情報化社会」とはこういったものなのか、やっとわかりましたと、良く言われました。 その情報のシャワーが、大人は鈍感になっているからあまり気にならないのですが、子供はすごく敏感な訳です。 そうすると過剰な情報には、どうしても防御壁、甲羅が必要になってきます。 1960年に生まれると、79年にちょうど二十歳くらいでしょう。 彼らはそういうことで、甲羅=個室にこもってしまう。 個室にこもると安全で神経が安らぐんですが、現代社会を営むためには、友達以外からの情報が必要不可欠です。 特に若い人たちの情報は鮮度が物を言います。 古い情報を持ち出しても、お前はまだそんなことを言っているのかと馬鹿にされてしまいます。 そうなると、情報機器というのはものすごく大事なんです。 そこにソニーが乗った訳です。勿論、ソニーだけではありませんが。

ヒット商品を生み出すには、商品を研究してもダメ

ソニーのヒット商品として、ウォークマンやMDプレーヤー、ゲーム機、薄型テレビなど色々あります。 そういったヒット商品に対して、新聞や雑誌で、この商品はどうしてヒットしたのかというので、商品研究をして一生懸命分析する訳です。 それを読んだ人が、ソニーにだけお金儲けさせておくことはない、うちの会社もウォークマンみたいなものを作ろうといってやる訳なんですが、僕に言わせれば、あれは根本的に違うのじゃないかと思います。

どういうことかというと、ヒット商品にお客さんが集まるんじゃないんです。 お客さんの行動様式とか精神構造、価値観というのは変化して、それにマッチした商品が結果として売れる訳です。 それを大体逆に考えてしまうから、いくらヒット商品を研究しても、うまくいかないんです。そうじゃなくて、その時代その時代、今は若者を対象にしゃべっていますけど、別に主婦でもいいです、小学生でもシルバー世代でもいいんです。 彼らの心を深く読み取らないと、すべての商品、ましてや出版の仕事も放送の仕事も、携帯電話の仕事も、情報伝達媒体、娯楽伝達媒体である訳です。 人の心をちゃんとつかみ取った結果、ヒット商品が生まれるということです。

夏になると、浜松町から竹芝桟橋まで、浴衣姿の女の子でいっぱいになりますね。 浴衣が売れているんです。 浴衣が夏に何故たくさん売れるのかは、浴衣だけを見たのでは判らないんです。 そうじゃなくて、花火や、お祭りなど夏の風物詩がありますが、それらを見に行くためのファッションとして、結果として売れているわけです。 だから花火を見に行くという行動様式、それこそ60年代、高度成長の忙しい時きは、花火など見に行く人もあまりいませんでした。

上野公園の桜の山は今や花見の名所ですが、60年代は、地元の人以外、誰もいなかったんです。 僕などはいつも行っていたんですが、地元の若い衆がお酒で酔っぱらって、上野の桜の木のなるべく太い幹を切ってしまって、ヨイショ、ヨイショとでかい枝を肩に担いで帰るんです。 それを見て、おれたちはもっと太い枝を持って行こうと、ワッショイワッショイやる訳です。 そんなことをしても誰も文句を言う人はいなかったんです。

では、いつから桜見物がポピュラーになったかというと、オイルショックの後なんです。 オイルショックで、これからは低度成長の時代で、日本人は働き過ぎだから、ゆとりを持たなきゃいけないというので、お花見にぶわっと押しかけた訳です。 今、上野公園などで桜の木を折って、お土産に持って帰ろうなどとしたら、たちまち大変なことになってしまうと思います。

桜というのは昔からある訳です。 戦争前から戦争中から、高度成長の時代から、今もありますね。 ですが人間の行動様式が変わることによって、上野の山に、たくさん人が集まったり、集まらなくなったりしている訳です。 そこに目をつけなくては、本来のマーケティングとか、本来の商品開発はできないのじゃないかというのが僕の考え方です。

僕はずっと講談社で漫画雑誌をつくっていた時に、周りは、部数が増えたら褒めてくれるんです。 売れないとケチョンケチョンにやられてしまいます。 『少年マガジン』は急激に部数が伸びたものですから、みんな「内田君」「内田君」と褒めてくれる訳です。 彼らが何を褒めてくれるのかといったら、雑誌が売れた、売り上げがたくさん増えた、対前年比百何十%といって、利益がどっと増えた、売り上げ、利益、そこばかりを褒める訳です。 僕たち編集部や漫画家が、作品づくり、雑誌づくりに日々、本当に苦労している点は、誰も褒めてくれないんです。これは何なんだと思いました。

考えてみたら、日本は戦争に負けて、アメリカに助けてもらって、アメリカの経済学、ケインズの経済学が日本の社会に入り込んできましたが、あれは数だけなんです。 それの影響で、数だけに注目して、褒めたり、けなしたりする。 これを僕は勝手に「数量経済学」と呼んでいるんですが、「数量経済学」だけでは無い、文化的な観点を取り入れたマーケティング、あるいは漫画づくり、新しい雑誌づくりということを考えなきゃいけないのではないかと考えている訳です。