キャラクタービジネスの知られざる歴史 -ミッキーからペコちゃんまで- | Talked.jp

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キャラクタービジネスの知られざる歴史 -ミッキーからペコちゃんまで-

高橋 信之 氏

スタジオ・ハードデラックス株式会社 社長
1957年生まれ、東京出身。「少年の夢」をメインテーマに「未来の生活」「科学技術と産業」「娯楽によるコミュニケーション」「国際交流と教育」などのモチーフを設定して、出版や広告、商品開発、映像メディアで活動するプロデューサー/プランナーとしても活躍。

福田 淳 氏

ソニー・デジタル エンタテインメント 社長
1965年生まれ、日本大学芸術学部卒。アニメ専門チャンネル「アニマックス」など多数のニューメディア立ち上げに関わる。(株)ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント バイス・プレジデントを経て現職。

構成:福田千津子 撮影:越間有紀子

2014年8月6日(水)

1980年代 大人向けのアニメ本が大ヒット

福田:まずは、高橋さんのプロフィールからお伺いできますか? 本業は編集者とデザイナーですよね?

高橋:はい。もともとは映画業界に行きたくて、大学在学中に映画ライターになったんですね。で、エロ本やアダルト本のデザインの仕事をしながら、『TVガイド』誌とか、『ロードショー』という映画雑誌のSF映画コーナーなどやらせてもらったのが20歳、21歳ぐらい。1977、78年頃ですね。

福田:ということは、『スター・ウォーズ』が公開された年じゃないですか。

高橋:まさに。それで一気にSF映画ファンが増えたんですよね。仕事の依頼もくるようになり、僕自身も助けられました。

福田:『スターログ』(アメリカのSF雑誌)が出たのも、確かその頃です。

高橋:さらに、79年には『機動戦士ガンダム』の放映が始まって、SFだけでなく“メカアニメ”のファンも増えたんです。でも、当時まだ「アニメ」って言葉、あまり知られてなくて……。70年代前半まで「テレビマンガ」って呼ばれていたんですよね。だけど、僕は『(宇宙戦艦)ヤマト』とか『ガンダム』などの大人に向けた「アニメ誌」の仕事がしたいと思って、映画ライターやりながら、アニメの本を作っているうちに、徐々に流れが来て、仲間も増えていったんです。1980年代に入る頃には、それだけで喰っていけるようになっていたので、大学は中退して、そのまま独立しちゃいました。

福田:ということは、今までどこか企業に入ったご経験は?

高橋:就職経験ゼロ。

福田:素晴らしい。

高橋:そのまま、流れに乗って、81年に双葉社から「カリオストロの城」(ルパン)のムック本を作ったら、これがバカ当たりして。本当に、毎月100万ずつ重版印税入ってくるような状態が1年以上も続いたんですよ。個人事業で、3人ぐらいでやっている会社なのに、月100万の不労所得が入ってくるわけ。「なんだ、この業界ちょろいな」と調子に乗って、今度は『スーパーマリオ』などのゲーム攻略本を作ったら、これもまた売れて。何冊も作るんで、全部で何百万部にもなるんですよ。

会社は社員20名くらいが理想

福田:ゲームブックシリーズ(1985~)も大当たりしましたよね?

高橋:はい。そもそも橘川(幸夫)さんの研究室にいたヒトが、「ニューヨークに、こんなのがあった」って見せてくれた洋書がきっかけなんです。「ストーリーを読んで、イエスノーで、ページをめくりながら、行き先を探していく本なんだよ」って。僕、もともとボードゲームをずっとやっていたので、すぐに閃いたんですよ。「これ、テーブルトークゲームのマスターブックと同じだな。簡単に作れる」って。で、みんなで全部番号を分解して、枝を作って、仕組みを把握したんです。それから、実際に作って、橘川さんのお力も借りて、手分けして売り込みにまわったんですが。

福田:1982年頃?

高橋:いや、もう少し前……80年か81年ですね。その頃は、どこ持っていっても「ピンと来ない」って突き返されて。でも、なかなか諦められなくて、いろんな会社に企画書出し続けたら、双葉社が「高橋はルパンのムック3冊出して20万部近い実績作ったから、ルパンだったらやってよし」ってようやくゴーサインくれたんです。これが当たって、第1巻が30万部も売れたんですよ。

キャラクタービジネスの知られざる歴史 -ミッキーからペコちゃんまで-

記念すべきゲームブック第1弾

福田:粘った甲斐があった。

高橋:5年ぐらいかかりましたからね。でも、橘川さんは「うちの研究室、みんな忙しいし、今、別のプロジェクトやっているから、おまえんとこで、やっていいよ」って。「本当にいいんですね? これ、確実に当たりますよ」って念押ししても、「うん、いいよ」って。

福田:橘川さん、いつも時代より早過ぎるんですよね。

高橋:初めに発見する人って、発見すること自体が好きだから、流行る頃には飽きちゃうのかもしれない。すぐ次、行っちゃうんですよね。結局、僕がなんとか10人くらいのライター集めて、マニュアルを作って、「ゲームブックはこういうふうに作ります」って講座を開いたんです。そこから一気に生産できるファクトリー体制に入って、『マリオ』とか『ドラクエ』とかのゲームブックを140冊ぐらい作り、累計1600万部ぐらい売れたんですよ。

キャラクタービジネスの知られざる歴史 -ミッキーからペコちゃんまで-

一大ブームを巻き起こした「ゲームブック」

福田:すごいですね。

高橋:発注する出版社からすると、一度に大量生産してくれるってことで重宝されたんですよ。あそこは月5冊ぐらいロールアウトできるって。そんな編集室は他になかったんで。