【ニューメディアが拓く面白人生!】8ミリ映画から衛星放送、iモード、スマホアプリまで。ニューメディアの可能性を広げるのが醍醐味。@慶應義塾大学 メディアコミュニケーション研究所【前編】

ニューメディアが拓く面白人生!
【前編】

日時:2016年6月15日(水)
場所:慶應義塾大学 メディアコミュニケーション研究所

福田 淳氏

ソニー・デジタル エンタテインメント 社長
1965年生まれ。日本大学芸術学部卒。アニメ専門チャンネル「アニマックス」など多数のニューメディア立ち上げに関わる。(株)ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント バイス・プレジデントを経て現職。

構成: 福田千鶴子 撮影:越間有紀子

皆さん、こんにちは。今回の講義の前に、メディア・コミュニケーション研究所についてホームページで拝見しました。マスコミ業界を目指すエリート中のエリート集団なんですね。そんな方々を相手に僕が何言ったところで、「そんなん知ってらあ」って、皆さん、寝に入っちゃう(笑)と思うので、思い切って僕の半生を一方的に語ることにしました。

今、50歳です。日本だと還暦の60歳が一区切りですが、英語圏では「50歳=半世紀」ということで"ハーフセンチュリーボーイ”と呼ばれて、割とめでたいんですね。大学生の頃は「50歳って大人だな」と思っていましたが、実際、自分がなってみるとそうでもない。それは遊びみたいなことを仕事にしているからかもしれません。やりたいことを一生懸命やるべきだと思ってきました。

1.「コンテンツ作りはハードありき」
8ミリ出たから、自分で映画が撮れるようになった

将来について初めて考えたのは12歳のときです。大阪出身なのですが、梅田OS劇場という映画館で(通常の映画用35ミリフィルムより高品質とされる)70ミリフィルムの『スター・ウォーズ』を見て、もう本当にびっくりして。昔からおしゃべりが好きで、小学校でもみんなをよく笑わせていたんですけど、映画だったら1回の上映で何万人何百万人を興奮させられる! すごい! 映画監督なりたい!って思ったんですね。

当時、『スターログ』というSF雑誌を愛読していたんです。SFって、今も『スタートレック』とか人気ですが、その頃、筒井康隆さんの『時をかける少女』が注目されて、第2次SFブームが起きていたんですね。また、イギリスのパンク音楽も流行っていて、やっぱり夢中になった。SFとパンク。この二つが僕の運命を決めましたね。14歳の頃には、ハリウッドに行って映画撮る!って誓っていました。さっそく小遣いはたいて、近所のスーパーで100円で叩き売りされていた期限切れの8ミリフィルムを大量に買って、自主映画作りを始めました。

この数年後には、撮影スタジオで訓練積んだ経験のない8ミリ出身の映画監督が出始めるんですよ。大森一樹さんとか、長崎俊一さんとか。森田芳光さんの『の・ようなもの』など面白い作品がどんどん生まれました。スピルバーグも『SUPER8』(2011年)で描いていますが、この頃の男子は8ミリ映画にのめり込んでいたんですね。

ちょっと話が横道にそれるんですけど、もしこの中にクリエイティブの世界に行きたい方がいるなら、「コンテンツ作りはハードありき」と覚えておいてください。その昔、「シングル8」(個人映画向けのムービーフィルム)のキャッチコピーが「私にも使えます」だったように、8ミリカメラが出たから、自分で映画が撮れるようになったんです。1995年頃にパソコンが本格的に出てきて、インターネットが普及して、今やCGがデスクトップで作れるのも、やっぱり「ハードありき」なんですね。表現したい人がハードをうまく活用してアイデアを形にしていく。その先駆けがこの8ミリ世代じゃないかなと。