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「アートを通じたファンドレイジングの可能性」世界ポリオデー・アートフォーラム 2016 (Art Forum 2016 in World Polio Day) Talked.jp

日本のクラウドファンディングは 東日本大震災の後、慈善から利用された

福田:じゃ、8世紀から、21世紀までバーンと進み、最近の事例を見ていきましょう。

坂之上:はい。今の話ですね。

福田:今は産業革命で言うと、インターネットが市民権を得て今年で20年なんですよ。Yahoo!ジャパンも20周年とかね

坂之上:まだ20年ですよね。

福田:ポケモンも20年、スターバックスも日本上陸20年です。そんな中、この3、4年、クラウドファンディングが出てきた。日本の場合は慈善から始まってるんですね。佐藤大吾さんが「ジャストギビング」(現ジャパンギビング。2000年にイギリスで始まったサービスの日本版)を立ち上げ、震災のときにホリエモンがここで1000万円以上集めたと話題になりました。震災がきっかけで始まったことで、一過性の寄付から、銀行口座を登録しているユーザーが莫大に増えました。これは今後の寄付を継続して集っていくのに大きな原動力になったと思います。

坂之上:そうですね。

福田:東日本大震災があって少しでも自分も貢献したいと寄付しても、ちゃんとお金が現地に行ってるか行ってないか分かんないなんて報道もあったじゃないですか。大きな慈善団体の手数料が高くて現地にあまり寄付金が言ってないとか、色々な問題が噴出した時期でもあります。

坂之上:実は、3.11前のジャストギビングで一番寄付額が高かったの私だったんですよ。

福田:あ。そうだった!

坂之上:当時はクラウドファンディング誰もやってなくって、ブレイク全くしてなくて。困っていたんです。そのとき私が集めてた額も、20万円ぐらい。

福田:おお、そうそう、だから、あれ2011年ですよね。忘れてた。

坂之上:そうですね。私、体硬いんだけど、T字バランスをするんで寄付してくれっていうのをやって・・・。

福田:うわ。それ思い出しましたよ。ブレブレの写真に3000円ぐらい寄付した。

坂之上:あれから色々ありましたよね。

福田:本当に。でも、クラウドファンディングって面白いですよね。被災地に直接寄付すりゃいいじゃんっていうと、よっぽどのことがないと気持ちがノラない。だけど誰かがなんかやって、その対価として払ったものが寄付になるなら、参加してみようかなっていうのがクラウドファンディングの気分ですよね。誰が具体的なアクションに対して共鳴するっていう感じ。

坂之上:そう。私がクラウドファンディングって面白いなとその当時に思ったのは、アフリカのプラ子ちゃんを応援したいっていう私が柔軟になる!と頑張り、その私を信用して寄付してくれるってところで・・・。
T字バランスで20万円も集までってすごいねっていう話だったの。

福田:確かに。

坂之上:でも当時流行ってなかった。今思えば、佐藤大吾さんが頑張って、そういうシステム作って、維持していたことが大きいと思います。3.11の前に。

福田:本当にそう思います。311があったので、先進国ではクラウドファンディングっていうと物づくりだとか、R&Dに使われることも多いのですけど、日本は慈善から始まったところが非常に日本らしくて、今後はこの活用が、非常にキーになるね。

坂之上:ですね。

インターネットのおかげで 誰もが気軽に社会貢献できるようになった

福田:ちょっと話逸れるんですけど、この間テキサスで開催されたSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)で、経済学者の先生が言ってたんです。1900年のアメリカでは農業従事者は全人口の90パーセントいた

坂之上:ほとんど全員が農業?

福田:そう。ところが2000年には0.2パーセントしかいなかった。穀物の分量って何倍も作ってるわけじゃないですか。なのに従事者が少なくなったってことは、機械が全部取って代わったわけですよ。今、いずれAIが人間の仕事を奪うと危惧されていて、確かに長期的に見たら奪うんですけれども、急に「あしたから要らない」って言われるような職は滅多にない。つまり、これまでの進化の過程でも、人間がより人間のことを考える時間をつくるイノベーションがあったんじゃないかと。
 産業革命の中で、農業革命があって、大量消費の時代になって、工場を造ったりしてきた。今度はインターネット革命って大変なビジネスモデルの転換期に、たまたま偶然僕ら生きてるのね。このクラウドファンディングみたいなものもその中の一つであるのかなと思うと、よく勉強して活用したほうがいいと。最近ちょっと働きすぎの問題とか出てますけど、人間の歴史って機械でできることは機械にやってもらって、その分たくさん休んで遊んで、友達たくさんつくって豊かに死んでいくっていうのが一つの理想形であるとするならば、富めるものはそうでない人に対してシェアしていかなきゃいけない。

 あと、歴史の流れの中で考えたときに、「あんた金持ちなんだからちょっと神社でも造れよ」っていう時代から、「1万円寄付したらこんないいことに貢献できました」って誰もが「簡単に参加」できる時代になって、それによって、豊かな気持ちになれる。それはインターネットのおかげで、すごいことだと思うのです。

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