瞑想で“他”との関わり合いを感じる
福田:たしかに、コロナ禍で自由に人と会えないとか、旅にも行けないというときに、内なる世界を再発見するツールは、マインドフルネス(禅)の世界しかないと気付いた人は多いと思います。一方で、まだそこに気付いていない人も少なからずいて、そういう人たちに対してお寺業界は、どういうアプローチをされているのかなと思っていたんです。でも東凌さんのイノベーションは本当にすごくて、オンライン座禅ではなく、アプリも作られて経営をされているということなんですけれども。それはどういう趣旨のアプリなんですか。
伊藤:InTrip といいまして、福田さんのお話にもありましたように、今こそ内面をより探索し、知ることによって本当の自分軸を取り戻すこと、自分のペースで本当の幸せを見つけていくことが必要だな、というところで始めました。
福田:僕は、長い間マインドフルネスへのアレルギーが強かったのですけれど、ここで座禅体験をさせていただいた時に、すとんと体でわかりました。 東凌さんがいい声でいらっしゃるから、すーっと入ってくるというか……。“自然に耳を傾けてください”という誘導も、“そんなの日々やってるんじゃないのかなぁ”と思っていたら、やってなかったことにも気づきました。というのは、あのときに、「雨の音を注意深く聞いてください」とおっしゃられましたよね。ちょっと小雨が降ったんですよ。そうしたら、雨の音がたしかに場所によって違うことに気が付いて、それでスイッチ入りました。そういうことなのか、と。都会にいると、音って均一なんですよ。
伊藤:そうかもしれませんね、たしかに。
福田:コンクリートに打ち付けるから、どの雨も同じなんです。でも自然の中にいると、池とか葉っぱとか、当たるものによって音が違いますよね。そのときに、僕の勝手な感じだと「自分と自然っていうのは、全然違うところにあるんだな」と思ったんですよ。つまり、一体にはなれない。よくみんな「自然と一体になる」というじゃないですか。でも、一体ではなくてむしろ多様性で、みんな違うんだ、いろんな環境があるんだということに気が付いたんです。そのときに……。ちょっとクロスオーバーして言うと、違う意見の人も認める心の余裕が少し出た、というのが正直な印象です。
伊藤:一体になるって、確かに丁寧に説明をしないと、行き過ぎてしまうことがありますね。なので、まずはおっしゃったように、「自分の周りにはいろいろなものがある」ということに気付くことから始められていいと思います。そして、自分自身についても、コンディションってわかっているようで、実際に不調にならないと気付かない。今日の波長やコンディションを知って、まずは「これらが薄っすらと関係し合っているな」と、自分と周囲とのつながりを見ていく。そののちに、“一体”があるのではないでしょうか。 それこそ禅は、上達していけばいくほど、眠りとの境目が微妙になっていきます。長時間座っている間に、もう自分は自然に溶け込んだかのような。眠っているようで違うのは、「明晰さ」ですね。明晰さはとても大事で、明晰でありつつ自我を薄めている、手放せている状態と、眠りとの境目は本当に難しいんですけども。
福田:瞑想を行っている間、自然を取り入れて、自我とか自分の要素を減らしていく、多様なもの、他を受け入れる状態というのがゴールではあるのでしょうか。
伊藤:それは、そうです。「関わり合っているな」というのは、少なくとも感じる。「自分」と「他人」という線引きではなくて、関わり合っているという感覚を取り戻していく。
福田:なるほど。そうなると最初の話に戻るんですけど、お寺は今の地域のコミュニティーのハブにならなければ駄目ですよね。