対談 中邑賢龍 × 福田淳

デジタル時代でもアナログ感を育てることが大事

福田:話が少し飛躍しますが、先生は引きこもりの子の学習支援もされていますよね。僕も引きこもりの人に家から出てきてもらうプログラムのことを少しだけ勉強しましたけど、でもソニーとか任天堂がやってきたことは、「家に居ていい」というマーケティングだったと思うんです。僕が中2の頃は先生に「ゲームセンターができたからおまえら頭の体操に行け」と言われて、ゲームセンターに行ってみんなで100円ずつ入れてゲームをやって、その内にメモ書きで攻略法を書いていって、それがすごい絵巻物になる。そういう風にゲームを遊んでいたら任天堂がファミコンを出して、そうするともうみんな家に帰ってゲームをやるようになった。映画も、僕は映画監督に憧れていたので映画館が大好きだったんですけど、VHSデッキができて、DVDが出るようになったら、これまた家から出なくて良くなりましたよね。テクノロジーが進化して、企業は「家から出なくていいよ」というマーケティングをしてきた。その先に引きこもりがあると思うんです。
だから僕には、引きこもりが良いのか悪いのかわからないんです。だってそれらは僕らの先人が夢見てきた未来ですからね。縄文時代なら家を出ないと絶対に生きていけないのに、引きこもっていられる環境を作ったわけですから。

中邑:僕はいいことだと思いますよ。社会に出たらみんなから攻撃を受けるのに、シェルターに入って好きな世界を作れるわけですからね。
でも彼らも心の中では「どうにかしなきゃいけない」って葛藤もあるんですよ。ただ圧倒的にリアリティが欠けていて、ここに大きな問題があるんですよね。口ではものすごくうまく説明できるんだけど、モノを作らせたり、行動させたりすると、全然うまくいかないんです。
先日、学校に馴染まず不登校傾向のある子どもたちに、四国の山中にある「碁石茶」って発酵茶を作っている農家に行かせたんですね。2回発酵させる非常に珍しい製法のお茶で、行ってこの作り方を習ってこいと言って。みんな文章も書けて、本もバリバリ読んでいる子。で、そこのおじいちゃんにインタビューして帰ってきたので、「じゃあお前ら、碁石茶作ってみろ」と言ったんです。するとさっぱり作れない。いやお前ら作り方見てきただろ、感じてきただろ、と。でもそういう部分は記憶に残らないんです。つまり文章で書いてあったり、映像で撮ってあったりすればわかるんだけど、自分でリアルにそれを心にとどめることが苦手なんです。

福田:それは訓練しないといけないものですか?

中邑:そう、ある程度訓練していかないといけないんです。

福田:アナログ感というか……。

中邑:そうそう。このアナログ感を育てることが非常に重要だろうと思っているんです。たとえばウチの研究室にはロボットクリエイターの高橋智隆さんやアーティストの鈴木康広さんがいますけど、彼らが一番大事にしているのがアナログ感なんですよ。高橋智隆さんはロボットを作るのに、CADを使ってないんです。彼はバルサ材を削って、プラスチックを溶かして型を作る。「なんでそんなことをするの? CAD使えないの?」って聞くと、「使えるんだけど使わない」と。それは何故かと聞くと「CADで引いた設計図じゃリアルなモノのイメージができない」と言うんです。それにCADの設計図を元に、何十万ものお金と1カ月くらいの時間をかけて試作の型を作っちゃうと、それが戻ってきてイメージと微妙に違っていたとしても、時間もお金ももったいないから妥協せざるを得なくなると。それなら、木を削るのならいくらでも自分でできるし、リアルにモノを感じられる。こういう感覚が抜けてきているんです。
コーヒーカップにしても、今はそこそこのものが安く手に入って、それを揃えておけばカッコイイから、みんなそういう製品を使いますよね。でも1つひとつ形の違う古いカップを使っていると、常に考えなければいけないわけです。「これ大丈夫かな。欠けてないかな、漏れないかな」って。そういうトレーニングがなされていないんですよね。

福田:それは中邑先生が参加されている「凹デザイン塾」(*1)のコンセプトにもつながることですよね。ユニバーサルデザインとは対照的なコンセプトというか。

中邑:もうユニバーサルデザインは十分でしょう(笑)。

(*1)凹デザイン塾
博報堂ダイバーシティデザインと東京大学 先端科学技術研究センターが共同で開発した、既成概念に捉われることなく、自由な発想でイノベーティブな商品を開発するための教育プログラム。凹(ボコ)のあるデザインは人を立ち止まらせ考えさせる。人を動かすことで社会を動かすデザインを探求している。