対談 中邑賢龍 × 福田淳

もっといろいろな生き方や多様性を認める社会に

福田:先日あるデパートの社長から「売り場が空洞化しているので、集客の方法を考えたい」と相談されたんです。最近は家電量販店もそこで商品を見たら、あとは価格.comで価格を調べて一番安いところで買うっていう、巨大なショールームになってしまっている。それを避けるために、その場所に行きたくなる理由を作らなければいけないわけです。
で、今セルフィって流行っていますよね。だからたとえばセルフィをしたくなるような店舗だったら、人が集まると思うんです。実はホテルニューオータニがプールの利用料を夜間女性に限って1万円以上値引きしたんです。そうしたら大ヒットしたんですね。でもそこで何をしているかというと、みんなプールに入るわけじゃなくて、セルフィで「私こんなにゴージャスな生活してる」って写真を撮ってSNSにアップしているんですよ。少し話が戻りますけど、そういうセルフィ文化も、リアリティとかアナログ感とかの延長線上にあると思うんですよね。

中邑:僕もセルフィって面白いなと思っているんです。現代はセルフィみたいにSNSなどで簡単に自慢できるようになって、自慢したくてどこかに行ったり何かの行動をしたりする人が多くなりましたよね。その一方で、学校では未だに「自慢は悪いこと」だと言われて、みんなに叩かれます。だけど自慢って大事なんですよ。
ウチの研究室では引きこもりの子どもを集めて学校をやっているんですけど、そこで何をやるかっていうと、たとえば素晴らしいキッチンとダイニングで、100g2,000円の肉を食べたりするんです。サシの入った素晴らしい和牛の肉を買ってきて、ローストビーフ作って食べるわけですよ。
で、子どもたちには、それを家族に自慢させるんです。そうすると「ウチで買ってる肉は100g300円よ。あんた2,000円の肉食べたの? いいねぇ」などと言われる。この「いいねぇ」って言葉をもらうだけで、次からまたウチの教室に行こうと思うんです。そういう仕組みってすごく重要なんですよ。だのに、みんなと違うからと「自慢」は叩かれるんです。
今の「みんなが同じことをしないといけない」という世の中は、もうちょっと多様性や、いろいろな生き方を認めるべきなんじゃないでしょうか。みんなで同じことをするということは競争社会になるわけで、競争すると必ず敗れる子が出てしまう。特性の違いで、どうしても勝てない子もいるんです。でも敗れるとなかなか敗者復活できないわけですよ。マラソンでビリがどんなに頑張ったって、トップに追いつけないじゃないですか。そういう子どもたちに何が必要かと言ったら、違う道を歩いていくこと。自転車で先頭に追いついてもいいし、マラソンをやめて2,000円の肉を食べてもいい。そういう可能性もあるのに、今の社会は「最後までがんばって一緒に走れ」という。これが一番辛いんです。
「うちの子はゲームばっかりやっている。意欲なくしている」という親御さんもいますけど、「いやいや違いますよ、ゲームには意欲的でしょ」って。意欲を失っているわけじゃないんですよ。最近ではその中から、ゲーム実況者やYouTuberが出てきているわけじゃないですか。こういう人たちが生まれてきているのは素晴らしいことだと思うんです。
でもそれを認めようとしない。新しい能力や、テクノロジーとミックスすることで発揮できる能力を、もっと社会が評価するようになるべきだと思います。
ただ僕は、いずれ若者の力が強くなっていって、彼ら自身が既存の仕組みを崩す時がくるんじゃないかとも思っているんですよ。