ネットはメディアであると同時にコミュニケーションツールでもある
柳瀬:インターネットが従来のメディアと違うのは、ツールに徹することができる点だと思うんですよ。他のメディアは不器用で、テレビはテレビでしかないし、ラジオはラジオでしかないし、書籍は書籍でしかないけど、ネットはこれら全部になれる。逆に言うと、新しいメディアが出てきた瞬間に、前のメディアがどんなコンテンツを配信したのか、人は後ろ向きになって気付く。これもまた、マクルーハンが60年代に言ったことです。テレビが出てきたときに、テレビのコンテンツはテレビが出る前のメディアである映画のもの。映画が出てきたとき、映画のコンテンツは映画が出る前のメディアである舞台のものです。
福田:なるほどね。過ぎ去ったときにバックミラーに映る。
柳瀬:コンテンツそのものは、前のメディアと変わらず、単に乗り移っているだけなんですよ。
福田:CSチャンネルって、テレビ、地上波歴史のオンパレードみたいなものですもんね。
柳瀬:そしてインターネットは従来のコンテンツの総合的な格納メディアとなった。ただし、インターネット自身は、まだ新しいインターネットならではのコンテンツを生み出していないような気がする。
福田:ネットは、メディアじゃなくて、ある神経系の何かかもしれませんね。
柳瀬:僕も何となくそういう気がしています。今までのメディアは片方向にしか情報発信できなかった。不器用だったんです。作り手から受け手側へ情報が届けるだけの一方通行で、受け手側からは進入禁止だった。メディアである前にコミュニケーションツールだったんですよね。電話であり、メールであり、まさに同じ場所がコミュニケーションツール。でも、FacebookやTwitterやインスタは、両方の機能を果たしている。個人にとってはコミュニケーションのツールであると同時に、関係ない人が外部から見るとメディアでもある。コミュニケーションとメディアがごっちゃごっちゃになった、このヘンテコな空間がネットの特徴です。従来のメディアにも電話にもなかった特徴ですね。
福田:Facebookがフェイクニュースばかり出していると批判されたとき、マーク・ザッカーバーグ「報道機関じゃない、コミュニティーサービスなんだ」と弁明しましたが、実際は両方ですよね。そういう複眼的思考を持って、この新しいメディアに臨んでくれよと。
柳瀬:ザッカーバーグは案外、マクルーハンを読んでなかったのかもしれませんね、あるいは読んでいたけど知らんぷりしていたとか(笑)。だから、フェイスブックはメディアじゃない、と。マクルーハンは初期のメディア論で、「町も車も衣服も全部メディアだ」と言っているんですよ。なんでファッションと車が売れなくなったか。かつて服は、その人にとってのメディア装置だった。俺はこういう主張をしたいと言って、髪を伸ばし、襟を開け、ラッパのズボンを履いてヒッピーをやるやつもいれば、スクエアのスーツを着るやつもいた。全部メッセージですよね。明確に洋服はメディアだったわけです。でも、ファッションのメディア的機能って、完全にインターネットに移っていますよね。自動車もそう。つまり、かつての自動車は、「俺は怖いだろう」とか「かっこいいだろう」とか「金持ちだ」とか「私かわいいわよね」って、乗っている人にとってのメディアだった側面が大きかったわけです。でも、自動車のメディア的な機能の大半は、すでに失われてしまった。すると残るのは、移動手段、運搬手段としての実用部分のみ。日本においては、服にしても車にしても、メディア的な部分が要らなくなっちゃった。
成長中の国では、まだまだファッションや自動車には消費者にとってものすごいメディア機能を持っています。コンゴ民主共和国では、サプールという洒落者男たちが、平和のメッセージを込めて、ピカピカのスーツを着ている。ファッションがまだメディアとして機能している。ある種のピーコック革命ですよね。彼らは金をかけて、真剣にファッションによる平和革命をやっている。
日本においては、インターネットがコミュニケーションの機能も個人のメディア機能も全部収れんしちゃった。