LGBTQに挑む、プレイメイトのチャレンジ(後編)
構成:井尾 淳子
撮影:越間 有紀子
日程:2019年8月19日
渡辺万美 (わたなべ ばんび) (写真左)
グラビア、女優、ジェンダーフリーアンダーウェア「Bushy Park」代表。1989年東京生まれ。2019年より『PLAY BOY』誌のプレイメイト就任。
2007年にトリンプ・インターナショナル・ジャパン主催のヒップコンテスト「ショウ・ミー・ユア・スロギー」日本大会で優勝。「日本一のお尻を持つグラビアアイドル」として、芸能事務所サンズエンタテイメントと契約。同事務所契約終了後、ドラマやバラエティ、グラビアの活動を続けるが、日本のメディアや芸能のあり方に疑問を感じ、ニューヨークに渡米。LGBTQの旧友との再会をきっかけに、女性の体を美しく見せるグラビアを目指すことを決意、2018年に初めてのヌード写真集『BAMBI』(講談社)を出版。同時期、インターナショナル版『PLAY BOY』のカバーを果たし、日本初のプレイメイトに就任。2019年「女性用でも男性用でもなく、セクシャルマイノリティをも包括する本当の意味でのジェンダーフリー」をコンセプトに、ジェンダーフリーアンダーウェアブランド「Bushy Park」起業。
公式ブログ:https://ameblo.jp/bambikaho0915
Bushy Park:http://bushypark.tokyo
福田 淳(写真右)
ブランド コンサルタント。1965年、大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業。 ソニー・デジタルエンタテインメント創業者。 横浜美術大学 客員教授、金沢工業大学院 客員教授。 1998年、ソニー・ピクチャーズエンタテインメント社 バイスプレジデントとして、衛星放送「アニマックス」「AXN」 などの立ち上げに関わる。 NPO法人「タイガーマスク基金」の発起人をはじめ、 文化庁、経済産 業省、総務省などの委員を歴任。 2017年、カルティエ提供「チェンジメーカー・ オブ・ザ・イヤー2016」を受賞(日経BP)。近著に『SNSで儲けようと思ってないですよね?世の中を動かすSNSのバズり方』(小学館)がある。
やる気魂を失った20代前半
福田:でも、そこから本当に行っちゃったんだから、すごい。
万美:いえ…。その時は1年行くはずが、言葉の壁もあって、3ヶ月で帰ってきちゃいました。それからまた事務所に入ろうと思ったんですけど、AKBさんとか、アイドルグループ全盛の時代になっていて。「アイドルグループに入らないか?」ってお声掛けいただいたものの、まあニューヨーク帰りで、ニューヨーカー気取りの20歳の女の子からすると、「は? アイドル?」みたいな…。当時はそんなふうになっていたんですね。
福田:万美さんのそれまでの活動を考えると、その認識は正しかったと思いますよ。
万美:ありがとうございます。それで、全部お断りしました。それこそAKBさんにもお声をかけていただいたんですけども。それで舞台とか、ちょっとしたミュージカルとか、そういうものに出て、小さい事務所に入って、また3年間くらいやってましたね。そのときに大河ドラマの『軍師官兵衛』に、秀吉の側室役で出させていただいたりとかしました。
福田:グラビアからドラマ方面にいけたわけですよね。24~25歳くらいまでのお話ってことですよね。
万美:そうですね。それで演技の勉強をしていました。でも、やっぱりなかなか芽が出ないし、周りはみんな結婚もしていくし、お金も全然なくて、「どうしよう」と思っていました。だから20代前半は、やる気魂みたいなものをホントに忘れていましたね。「ヤンキーみたいな部分を出すな」「アイドルみたいな黒髪で清楚にしろ」とか、言われた通りにやってきた年もありました。前髪を作れだの、伸びたら切れだの。そんなことで毎日怒られて悩んで。
福田:大人の発想力の貧困さもたまらないものがありますね。
万美:その時はそんな感じだったので、「グラビアをやっていくしかない」ってことで、芸能の闇みたいな部分もいろいろ見てしまったんですね。
福田:むしろ、グラビアの最初の出会いとして野田社長はよかったんでしょうね。まっとうな方というか…。所属している時は守ってくださったんだろうし。
万美:そうです。今思うと、守ってもらっていたなと。私も中学時代に培ったヤンキー魂で、「絶対めげない!」って頑張ってたんですけど、やっぱりもう心が…もう…。
福田:いや、折れると思いますよ。
万美:そうなんです。やっぱりグラビアの子とかを見ていると、業界で地位のある人のところに行ったり、そういう誰かのお金で起業したりして…。身の振り方みたいなものが、やっぱり分かれるんですね。でも私自身はどちらにもいけなくて。
福田:真面目だったんですよね。ヤンキー魂っていっても、それは真面目だったからだと思う。 あとね、ご実家が自営業されているっていうことで、一応寝る所と食べる所はあるってなると、そこまで「お金お金」ってならないでしょう。業界の汚いところってやっぱり実際にあるし、お金でなんとかしようとする人も、またそれに乗る人も普通に多いからね。だから成り立っちゃっているんだろうね。そのサイクルでね。
万美:はい。で、やっぱり心身ともに参ってしまって、26 歳から1年間くらい、芸能活動を辞めたんです。夢がもうわからなくなってしまって。でもやっぱり、グラビアをやってきたこと自体を失くすということ、一生懸命やってきたことを失くしてしまうっていうことだけはどうしてもしたくなくて。でも、じゃあプロデューサーに媚びたりしないと続けられないのかっていうのは違うと思っていて。