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リベラルな小学校が「メタ」の原点

建築を社会と「再接続」する~若きテック系CEOの挑戦とは(前編)   Talked.jp

福田:秋吉さんご自身について、もう少し掘り下げたいです。世代間意識より前のもっとご幼少期、そういったリベラルな発想が起きる原点は何だったんでしょう。例えば、ご両親とか環境の影響はありますか。

秋吉:遡ると、小学校がいい小学校で。リベラルな学校だったんですよね。大使館も周りにあって、1学年40人しかいなくて、そのうちの10~15人ぐらいは毎年変わるアフリカの方だったり、ドイツの方だったり。

福田:どこですか? 

秋吉:目黒区の小学校です。

福田:目黒区にそんな多様性の小学校があるんですね。

秋吉:今はどうか、全く分からないですけど…。僕が建築に興味を持ったのは、その小学校が原点なんですよね。教室と廊下に境目をつくらない建築デザインを、日本の小学校で初めてちゃんと実践したところです。庭では、毎年みんなでビニールハウスを作って米を育てたり、ビオトープを作ったり、そういう学校だったのでそれが普通でした。

福田:いろいろな方にこの対談でお聞きしましたけども、小学校という環境が原点という方は初めてです。早くても中学くらいの方が多かったので。

秋吉:建築家という道を冷静に自覚としたのはもっと大人になってからですが、原点はおそらく、無自覚のものですよね。それが普通だったのですが、逆に中学ではマンモス校に入っちゃったので…校則も髪の毛はここまでかかっちゃ駄目とか、ちょっとやばい学校に入ったんです。

福田:急に分散型から中央集権校に言っちゃったんですね(笑)

秋吉:そうなんです。その反動がめちゃくちゃ大きくて、精神的にショック過ぎて、本当に憂鬱でした。もうその反動が今出ていますね。

福田:その時は、世の中そういうもんだと思って?

秋吉:そうですね。まあ親にも迷惑かけたくない…と言ったらなんですけど、ずーっと皆勤賞を取っていた感じでした。

福田:真面目だ(笑)。すごい。

秋吉:そこだけは、めちゃくちゃ真面目だったんです。

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