“Content is King!”で生きてきた コンテンツ研究会講演@青山学院大学【後編】

メデイアが変わっても、
人間の24時間は変わらない

「メデイアの変化」「マスの変化」「貨幣価値の変化」。この三つの変化の中に今、われわれは生きています。

繰り返しになりますが、コンテンツの本質的な存在意義は不変です。
例えば、恋愛コンテンツ。僕の上の世代でいえば映画『キューポラのある街』であり、コミック『愛と誠』であり、僕ら世代でいえば、山口百恵のテレビシリーズ『赤いシリーズ』の人気がありました。下の世代でいえば前述のケータイ小説の『deep love』などが若者に支持されました。
「新しいお酒は新しい革袋に」。これは、少年マガジンの天才編集者内田勝さんがご存命のころに僕によく言ってた聖書のマタイ伝第九章の一節です。これは、「新しいぶどう酒は古い革袋は入れない。そんなことをすれば革袋が破れて酒が漏れるし、袋もだめになる。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れれば、ぶどう酒も袋も両方が保たれる」という意味ですね。つまり、携帯にスマホ、どんなメディアの入れ物が出てきても、友達と遊んだり、誰かと愛し合ったり、人間の24時間は変わらない。だからメデイアの変化、予測について、新聞やキュレーションサイトにしがみついてまで知ろうとする必要はない。

人が人を愛し、平和を渇望し、素晴らしいアート、創造物を作り続けるという行為は永遠に不滅なのです。

>>前編はこちら
徹頭徹尾、「コンテンツ」であれ【前編】