近藤健祐 × 福田淳 対談 意外と知らないキャラビジネス考@ソニー・デジタル エンタテインメント【前編】

5.すでに確立しているブランドへの提案は難しい

福田:その後、インタービジョン入られたのはいつ頃でしょうか?

近藤:1996年の10月です。当時は東急エージェンシーインターナショナルっていう社名だったんですけど。

福田:そのときはライセンスの部署があった?

近藤:いや、そのときはライセンスの仕事じゃなくて、純粋にまたSPの仕事に戻ったんですよ。

福田:戻ったんですか。

近藤:私はクライアントのショールームの内装とか、展示の担当だったんです。

福田:それ、結構ベタな・・・。

近藤:キャプションやパネルを作ったり、展示のタイアップイベント持ってきたり。

福田:でも、広告営業とライセンス、両方の経験がその後、生きますよね。

近藤:生きるんです。本当にすごく生きたんですよ。当時、東京と大阪にショールームの2つの拠点があって、それを1人で見なきゃいけなかったんです。毎週東京と大阪を行ったり来たりしてましたね。それまでは自分の力だけで持ってこれるようなクライアントが多かったんですけど、そのクライアントさんはものすごい会社だと、ブランドの企画一つとっても、本当、キャプション1個のこだわりすら通らないんですよ。ああ、自分は、こんなに力なかったんだってもう、とにかく自信をなくしました。

福田:なんで通らないんですか?

近藤:とにかく、こだわりがすごかったです。「これはウチのブランドらしくない」っていう言い方をするんです。「ぽくない」みたいな。

福田:なるほど。でも、そのセンスを共有できたらハマッていくわけですよね。

近藤:そうですね。私は痛感したのは、Jリーグっていうのは作り上げていく過程をそばで見ていたブランドだったんですけど、既に出来上がったブランドをどうこなしていくかっていうのは、その歴史から何から全部知らないと提案が通らないということでした。

6.ネットでキャラクターを売買するサイトを立ち上げる

近藤:結局、ベタなSPやったのは9カ月だけで、そこから媒体部に移りました。ちょうど東急からソニーが筆頭株主になって、社名がインタービジョンに変わった頃です。私の所属した媒体局の担当専務になった方が、大手広告代理店の媒体やキャスティング局長だった方で、サッカーの大会の企画などもされていた方でした。

福田:本当に、運命ですね。

近藤:その専務から「おまえ、サッカー好きなら、サッカーの大会やればいいじゃないか」と言われて、「いやいや、どうやるか分かんないし」みたいな。で、その方は常々「やっぱりコンテンツが重要だ」っておっしゃってたんですよ。その頃、親会社のソニーからも「ドットコムビジネスを立ち上げなさい」みたいなお触れがありましたよね?

福田:ありましたね。

近藤:98、99年ぐらいに。で、ソニーさんと一緒に、競願でイーキャラ・メッケって、ネットでキャラクター見つける・・。

福田:デジタル・ドリーム・キッズという標語でした。その流れでいろんなデジタルやろうよと。

近藤:はい、そういう空気があって。で、「イーキャラ・ドットコム」っていうサイトを立ち上げたんですね。

福田:広告代理店なのに、サイトを立ち上げた?

近藤:そうなんです。媒体部にいて。

福田:そのときは別にソニクリとは何も関係なく?

近藤:一応ご挨拶には行きました。ただ、やっぱりグループ内で同じキャラクターの仕事をするとなると、言う方もいました。「キミんとこは代理店なんだから、餅は餅屋の仕事やってればいいんだよ」とか。で、各方面からいろいろ言われつつ、ネットでキャラクターを売買するサイトを作ったんですね。クリックすると、まだ無名のキャラクターにも評価が付くとか、何歳の人が見たとかマーケティングデータが取れるようなサイト、イーキャラ・メッケを2000年3月に立ち上げて、キャラクター数集めようとしたんですけど。

福田:代理店的発想というか。取りあえずポータル化させましょう、みたいなね。

近藤:そうですね。私はもう日本のキャラクター全部集めてやるぐらいに思ってました。でも、スタートして3カ月ぐらいに重大なことに気付いちゃったんですよ。

7.ネットでキャラクターを売買するサイトを立ち上げる

福田:重大なことって何ですか?

近藤:当時は、キャラクターはネットで売買できないって、分かっちゃったんです。

福田:え、どうしてですか。

近藤:なぜかって、ライセンス業界って結構古い業界なんで、当時はまだデジタル化が進んでおらず、インターネット環境が整ってない会社が多かったんです。

福田:つまり、受け手がいないという意味ですか?

近藤:はい。2000年当時は日本全体で見ても企業でのインターネットの普及率は低かったと思います。

福田:確かに2000年だとまだYahoo! BBとか、ADSLの時代なんで、ないかもしれませんね。

近藤:メアドがまだアットマーク会社名じゃなくて、So-netとかOCNとか、プロバイダ名があった時代です。私自身はノートパソコン持っていたので・・・。

福田:早かったんですね、やっぱり。

近藤:ソニーグループだったので早かったのかみしれません。で、ノートパソコン持って営業しに行くと、次の打ち合わせの前に「近藤さん、インターネット持ってきてくれないかな」みたいな。「いや、インターネットって持っていくもんじゃないんですけど」みたいな。

福田:なるほど、インターネットという品物があると誤解されたんですね・・。めっちゃ面白いですね。2000年って、ほんの16年前ですよ。

近藤:当時メアドは全員持っていて、サーバーの管理とか全部厳しくやってたのですが、まだライセンス業界は・・。

福田:多分2000年って、大手映画会社でも全社員に一人1台はパソコンがなかった会社がある時代ですよ。1フロアで1台とかみんなで借りていた。「まだないんだ? メアド」ってびっくりしたことありましたからね。

近藤:そうです。メアドがまずないんですね。部門で1個という会社もあったじゃないですか。

福田:月次の締めの時期になったら女子社員がエクセル使うためだけに作業してて、「そんなのネットワークつながなくてもできるだろう」みたいなもめ事が起きたり。みんな、パソコンのソフト使うのと、インターネット接続する違いさえ分かんなかった。

近藤:パソ通がまだぎりぎり残ってる時代でしたから。