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旅のはじまり~近視眼的な日本を飛び出そう

旅だけが ”本当”を教えてくれる ~名物作家の世界放浪記~  Talked.jp

鬼塚:大学では理系だったんですけど、先輩に「就職試験で“SEになりたい”っていったら、さらに多くくれるぞ」と教わったんですよね。「SEになりたい」「AIに興味がある」。面接ではこれをオウムのように繰り返せ、と。

福田:AI? 

鬼塚:当時は「人工知能」という言い方でしたけども。人工知能って言うだけでもすっごいウケがいいから、1回面接に行けば2回、3回と呼ばれて、さらにヒッチハイクでいったらそれだけで何十万と稼げたんですね。

福田:実際、10社受けに行って、100万儲かったんですか? すごいな。

鬼塚:実際はもう何十社といって、300万くらいです。就職活動といえばトラックの助手席にいるという記憶しかない。面接官の顔の記憶がない(笑)

福田:すごいですね。

鬼塚:面接を受けた会社にはほとんど行く気がなかったんです。大学のころに海外に留学していたので、海外の人と結婚しようくらい思っていたんですよ。だからそのお金を元手に、放浪の旅に出ようと思ったわけです。厳密に言うと350万くらい貯まったから。そのころ、世界はまだまだ貧富の差が激しくて、中国もインドも、一日100円ぐらいで暮らせたんですよね。で、その放浪の旅でいろんなものを見てみようって。なんていうのかな…。「自分の居場所」を探そうと思ったんです。大学のときのイギリス留学経験で、世界の人間の「思考の幅」みたいなものを知ったんですよね。

福田:イギリス留学のご経験があったんですね。その、放浪の旅以前に。

鬼塚:そうです。語学留学で2年間。でも帰国して、当時のバブルの世の中で、日本人の浮かれ気分っていうんですか? 「住むなら駅近がいい」とか、「職場の近くがいい」とか、自分でやりたいこと、野望も何もなくて、とにかく楽な方向だけ見て生きていこうという人たちばかりで、嫌気がさしちゃったというか。もっともっと、自分が見ていない世界がある筈で、350万も資金があれば、5年間くらいは見て回れると思ったんです。どこかに、自分の居場所があると思ったんです。だから、お金の続く限り、可能ならそこで働きながら、世界中の何でも見てやろうと思ってました。旅費も飛行機を節約するために、鑑真号*という船でまずは上海まで行ったんです。

*戦後、日中間を結んだ初めての国際フェリー

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