『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』を生み出した伝説の編集者、内田 勝からラストメッセージ

Talked.jpby Sony Digital Entertainment

『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』を生み出した伝説の編集者、内田 勝からラストメッセージ

しかもこの出生比率というのは、日本人に即して言えば、縄文時代、弥生時代から現在まで、ずっとこれで来ていると思うんです。 というか、これは500万年前にサルから分離して、人類が誕生したその時からずっとこれで来ているはずなんです。 当時僕は漫画をやっていましたが、『週刊少年マガジン』の読者は男の子で、一体男の子とは何なのだろうと一生懸命考えていた時なので、何か手がかりになるのじゃないかということで着目したんです。

『週刊少年マガジン』が創刊されたのが1959年です。 1959年というのは、いわゆる戦後のベビーブーム世代、団塊の世代が小学五、六年生の頃です。育ち盛りの子供たちがたくさんいる時代です。 もう一つは、東京タワーが完成したのが1958年12月です。 『週刊少年マガジン』、『週刊少年サンデー』の創刊は1959年ですから、東京タワーが出来た数カ月後です。 ということは、皇太子のご成婚をテレビで見ようということで、テレビが普及し始めた、そういう時です。 僕が講談社に入社して、『少年マガジン』の編集部に配属になった1959年というのは、すごく印象に残っているんです。 そして60年代から、いわゆる戦後の高度成長が始まるわけです。 60年代というのはエポックメーキングの時代、映画「3丁目の夕日」などで描かれているのもちょうどその頃の時代です。

それで、読者である子供のことをずっと考えていた時に、はっと気が付いたことがありました。その頃、僕は『少年マガジン』の編集長になったころです。 60年代が高度成長の時代と言われているけれども、所得倍増とか経済的な発展だけではなくて、もう一つ絶対に見逃せないのは、科学技術文明が生活の中に取り込まれ始めた時代であるということが言えると思うのです。 そして子供に即して言うと、これは実に象徴的なことなんですが、「お産革命」が起こった時代なんです。1960年代に「お産革命」が起こったなどという論調は、新聞とかテレビとかには、ほとんど載っていませんでした。 僕が1人で気がついたんです。 それはどういうことか、説明します。

お産革命と、ローレンツの刷り込み理論

 僕などは昭和10年、1935年生まれですが、それ以前から50年代くらいまで、お産というのは産婆さんがお家に来て、自宅でおこなっていたのです。 それが60年代以降、お産革命と言ったのは、病院でお産をするようになったんです。 病院でお産をした方が、乳幼児の死亡率が少ないとされた訳です。

昔は家で赤ん坊が生まれると、そのすぐ後に、お母さんがぎゅっと抱きしめるんです。 ところがうちの子供は男の子が3人ですけど、3人とも病院で、生まれてすぐ無菌室に入れられて、当時ですと1週間ぐらい、親子の対面はガラス越しで、足首に結わえつけた番号札で、看護師さんに、「あれが内田さんのお子さんです」と言われる訳です。 これが子供たちの精神的なものに影響を与えるに違いない、与えないはずはないと思ったんです。 では、産婆さんを呼んで家でお産をするのと、60年代以降、産婦人科の病院で生まれて、無菌室に入って育った子供と、もし違いがあるとすれば、どういう違いがあるのだろうかと考えてみた訳です。

そこで思い出すのは、コンラート・ローレンツというオーストリアの動物行動学者です。 彼は1972年にノーベル賞医学生理学賞を受賞しました。 それより以前、60年代のノーベル生理学賞というのは分子生物学、DNAとかを研究した学者がずっとノーベル賞を受けていた訳です。 それで動物生態学とか動物行動学とかいうのは、すごく古ぼけた過去の学問のように思われていたんです。 本当に戦後初めてと言っていいくらい、動物行動学者、動物生態学者であるローレンツがノーベル賞を受賞した訳で、これは画期的だったんです。 僕はノーベル賞をローレンツが受賞する前から彼の愛読者で、翻訳はほとんど読んでいましたので、「万歳!」とひとりで乾杯しました。

ローレンツが何の研究でノーベル賞を取ったのかと言うと、有名な「刷り込み理論」というものです。 雁ガンの卵が孵化する前に、ローレンツが卵のそばにじっといるんです。 やがて卵がパカッと割れて、ヒナが五、六羽生まれてくるわけです。 そうすると、鳥というのは殻から出てきて初めて目にする動くものを親だとインプリンティングされる、刷り込まれるという習性を持っているということを発見したという訳です。 それからはガンのヒナたちは、ローレンツのことを親鳥だと思いこんで、どこへ行くのにもついてくるのです。

 最近の映画で(「WATARIDORI」)、白鳥か何かの鳥を編隊で、渡り鳥を飛行機から撮りますでしょう。あれも、あの人がローレンツの理論に従って、卵が孵化するときにじっといて、あの映画を撮った人を親鳥だと刷り込ませて、渡りで飛ぶときも、飛行機の後をみんなついていくんですね。そのくらい強烈な「刷り込み理論」、「インプリンティング理論」というものがある訳です。

 1960年、滝山さんくらいの団塊の世代、ベビーブーム世代くらいまでは、それこそ縄文時代から弥生時代、奈良、平安、江戸時代、明治、大正、昭和までずっと、産婆さんを呼んできて、お家でお産して、オギャーと生まれたら、お母さんがぎゅっと抱きしめて、おっぱいを飲ませてあげる。 そうすると、これは僕の仮説なんですが、その赤ん坊は、自分の生命存在というのは、自分1人じゃないと思いこむんです。 他者というのは母親なんですが、その存在によって、自分の生命が保たれているのだということがインプリンティングされるのじゃないかと思ったんです。

それに比べて、今度は60年代以降の、「お産革命」と僕は勝手に言っているんですが、生まれた赤ん坊はさっき言った無菌室に入れられる訳ですね。 僕は彼らのことを、「無菌室ベビー」と、これもあまり耳ざわりのいい言葉ではないので、あまり世間には聞こえないように、1人で頭の中で考えていたんですが、「無菌室ベビー」というのは、生まれたら、父親はもちろん、母親からも引き離されて、無菌室の中に入れられてしまいます。 そうすると、その赤ん坊たちは、自分の生命存在というのは自分1個で成り立っていると刷り込まれるのではないか。 これは人類の歴史始まって以来、日本だけではないですが、世界中がそうなっている訳ですけれども、大変なことが起こったのではないかと考えたんです。

総合誌の時代から、専門誌の時代へ

 僕が『少年マガジン』の後、『月刊現代』とか色々な雑誌をやったんですが、1979年に『ホットドッグ・プレス』という男の子、若者向けの生活情報誌を創刊する仕事をやりました。
これは明らかに、ベビーブーム世代の後の世代なわけです。
いわゆるシラケ世代と言われていた世代で、彼らは非常にクールなんです。 滝山さんたち団塊の世代は、例の全共闘で、スクラムを組んで「愛と連帯」といって機動隊に突っ込んでいったりする訳です。 「愛と連帯」というのはまさに刷り込みで、母親と自分との愛のきずな、お家で生まれ、それが刷り込まれている。我々は連帯しているんだということで、全共闘になって、ちゃんと証明しているわけです。

それに対して、その後の世代、「お産革命」の後の世代というのはシラケ世代です。 これが実にクールで、批評家的なんです。 団塊の世代、ベビーブーム世代が全共闘で機動隊に突っ込んでいくのも、冷ややかに観察していて、興味の対象というのはファションとかロック、車という感じです。

雑誌の世界で言うと、60年代は「総合誌の時代」と言うんです。

誰も彼もが『少年マガジン』、これは漫画雑誌ですけれども、漫画の総合誌のようなもので、みんなが『少年マガジン』や『少年サンデー』を読む訳です。
ところが70年代に入ると、今度は「専門誌の時代」で、車の専門誌、音楽の専門誌、FMの専門誌、専門誌がたくさん出てくる専門誌の時代です。
これがいわゆるオタク世代です。 オタクというのは別に隣の人が音楽に興味を持っても、自分はアニメが好きだといったら、関係ない訳です。 音楽の好きな人は、今度は車の好きな人が隣にいても、関係ないんです。 オタクというのはそういうふうに狭いところに閉じこもっています。 まさに自分一人の生命存在は、他者の存在なしに成り立っているという感じです。 ですから『少年マガジン』の時の編集方針と、『ホットドッグ・プレス』の編集方針は、がらっと意識的に変えたんですね。 それは生まれて寄って来たるところ、若者たち、同じ高校生、大学生であっても、いつ、どういう時代に生まれてきたのか、育ってきたのかということで、同じ日本人、同じ高校生、大学生の男の子でありながら、全く違う精神構造、行動様式を持っている訳です。 この専門誌という考え方でのぞんだ編集方針が功を奏して、『ホットドック・プレス』は最盛期には75万部も売れ、『POPEYE』を抜いたりして、当時話題を呼んだのです。

ちょうど10年前、1998年に宗方 謙さん(当時:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント代表取締役社長)から声がかかって、CS放送でアニメチャンネルというのを立ち上げるプロジェクトに加わりました。 今ちょうど福田さんチームの携帯電話ビジネスのお手伝いをしているような形でしたが、声をかけられた時に、CS放送の時代がやっと来たかと感じたんです。 NHKや、地上波の放送というのは、雑誌で言うと総合雑誌なんです。 雑誌は、50年代から60年代が総合雑誌時代で、70年代から80年代には専門誌の時代だったとお話ししました。 何故出版の方が先にそうなったかというと、出版というのはお金がかからない訳です。 人手もそれ程かかりません。インフラも要らないんです。 ところが放送事業というのは、衛星を打ち上げたり、コンピュータの圧縮技術だとかで、色々なハードウェアが先へ進まないと対応できない訳です。