『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』を生み出した伝説の編集者、内田 勝からラストメッセージ
「僕たちジャーナリズム」というのは、我々編集者も、ライターもカメラマンも、送り手も、読者も全て横の関係で、「僕たち」はみんな1つの価値観で、全くオタク的な世界をつくってやっていこうというのが『ホットドッグ・プレス』のコンセプトだったんです。
ところが「個衆化の時代」ということになってくると、いよいよプロがドン!といるのでは受け付けないわけです。
アニメーションにしても、今まではプロの監督やアニメーターが作っていた訳ですが、僕は「個作の時代」と言っているんですが、個人で制作出来てしまうんですね。
アマチュアと言ってもいいです。アニメーションだって、ショートアニメ、フラッシュアニメ、ああいうアニメ制作ソフトがあるから、小学生でも作れてしまいます。
小説も自分たちで書いてしまう訳です、ケータイ小説を。昨年度の文芸書の売れ行きベストテンの半分が、ケータイ小説です。
素人が書いているんです。
それがネットワークで結ばれて、たくさん売れるという図式になる訳です。
死の商品化と偽装問題
話はいきなり飛ぶみたいですが、9.11、ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機がぶつかった、あの時にピカッとひらめいた1つのイメージがありました。 恐らく世界中でひらめいたのは僕1人だけだったかもしれませんが、どういうイメージがひらめいたかというと、やはり昆虫です。 ミツバチが一生懸命に蜜を集めていますが、彼らにはキイロスズメバチという天敵がいるんです。 その巨大な天敵がやって来て、猛毒でみんな倒してしまい、蜜を全部かっさらっていく訳です。 ただ、ミツバチたちがやられっぱなしかというと、そうじゃないんです。 巨大なキイロスズメバチの体に、小さいミツバチが、バッとたかるんです。大勢でくるんでしまい、羽ばたきするんです。 羽ばたきすると熱が生じます。 そうするとキイロスズメバチは熱に弱いので、コトっと死んじゃう。 蒸し殺してしまう訳ですね。 もちろん死ぬ前に、まとわりついたミツバチのほとんどは犠牲になってしまいます。 僕は9・11を見ていてパッとひらめいたのは、アメリカがキイロスズメバチで、テロはミツバチみたいなもので、自爆テロをおこなっていると思った訳ですね。
それから清水寺で毎年、今年の一文字というのを選びますね。 昨年は「偽」という文字になりました。 偽装とか偽造ですね。 赤福や白い恋人たちといった各地方の名物の賞味期限偽装や、関西テレビ・日本テレワークの「あるある大事典」の偽造などで問題があったでしょう。 それとは別に、昨年末の「紅白歌合戦」で、NHKがまさに偽装放送をやっていたんです。 何かというと、亡くなったZARDの坂井泉水の映像が出て、NHKのアナウンサーが、「実はZARDの坂井泉水さんは紅白に出るのが夢だった」と言う訳です。 「亡くなった後ですが、今日初めて紅白に出ることが出来たのです」というナレーションでした。 ZARDは過去、絶対に「紅白歌合戦」には出ませんでした。 いくらNHKが頭を下げて頼みに来ても、「今はスケジュールが立て込んでいます」と断っていたんですね。 「本当はNHKの「紅白歌合戦」に出たいんですけど勘弁してください」と言われていたそうです。 これは勿論、出演しないことへの言い訳なんですが、それが、亡くなった後になって、「坂井泉水さんは『紅白歌合戦』に出たがっていた」ということにすり替えられた訳です。 亡くなって、ましてやガンで亡くなってしまってかわいそうだと。 あれはまさに偽装そのものです。 気が付いた人はほとんどいないと思いますが、僕は雑誌屋だから、そういうのに敏感なんです。
それで何を言いたいか。
去年は「偽」という一文字に象徴された年と言える訳ですが、ここでまた昆虫を例に上げると、昆虫というのは、全部が全部じゃないんですけど、偽装するのがすごくうまいんです。
「擬態」と言うんですが、木の葉っぱそっくりになってしまったり、カマキリなんかは蘭の花びらそっくりに自分の体を偽装する訳です。
偽装というのは実に昆虫的なんです。
全然罪の意識がなくてやっているんです。
自分を守るために、あるいはエサをつかまえるために擬態、偽装する訳ですね。
すべての昆虫ではありませんが、一部の昆虫はそうやって生き延びてきたんです。
また「紅白」に戻りますが、坂井泉水、阿久悠さん、それから「千の風になって」のテノール歌手の人、名前は忘れましたが(秋川雅史)、彼は何か舞い上がっちゃったみたいで、「紅白」の告知番組で、 「美しい私のテノールで、あの素晴らしい歌をぜひ聞いてください、感動してください」というようなことを本人がしゃべっているんです。 だけど、あんながさつな、何かうさんくさいあんちゃんに、そんな、 「お墓の中に私はいません」なんて、教えてもらいたくないんですね。 阿久悠さんに関しては、亡くなられたということで、常連組が、彼が作詞を手掛けた曲を歌ったりした訳です。 これは、死というものを商品化しているんです。 『デス・ノート』なんてのも、マンガ、アニメ、映画とすごく評判になりましたが、死の商品化と言えるのではないかと思う訳です。 見渡して見ると、ケータイ小説も、『恋空』とか、すぐ恋人が病気になって死んでしまう話ばかりで、死の商品化、もう行き着くところまで行ったなという感じです。
ミツバチとスズメバチの話にしても、天敵であるスズメバチを倒すために、たくさんのミツバチも死んでしまう。 でもほかのミツバチは、ありがとうとか、よくやってくれたとか、全然感謝しない訳です。 小松崎茂さんの『地球SOS』という絵物語があるんですが、火星人が地球を襲ってくるというストーリーです。 その火星人が昆虫の顔をしていて、とても恐ろしい。 顔だけが怖いんじゃなく、この火星人は昆虫と同じで、味方が死んでも平気なんです。 そこが怖い訳ですね。 人間同士は戦ったり、戦争したりすると、普通は痛みがあるじゃないですか。 昆虫というのはそういったものが一切無く、死というのは当然の行為なんです。 死んでいく方も生き残る方も当然だと思っている。 それで、今は死の商品化というのがすごく多い訳ですね、特にヒット商品に多い。 昆虫化世代、昆虫化度が深化しているなということを改めて感じます。
メーテルリンクの「昆虫三部作」の素晴らしさ
ちょっと否定的な、偽装とか、死を商品化しているとかの話題ばかりなので、最後に、昆虫世代ということをベースに、もうちょっと明るいというか、希望的な話をします。 僕はエコロジーという、商品化というと語弊がありますけれども、あるんじゃないかと思っている訳です。 1900年にメーテルリンク、チルチル、ミチルの『青い鳥』を書いた作家ですが、彼がノーベル文学賞を受賞するんです。 なぜ受賞したかといったら、『ミツバチの世界』という作品で、これは小説じゃないんですが、ノーベル文学賞を取った訳です。 メーテルリンクはその後、『白蟻の生活』、『蟻の生活』を発表しました。 これが昆虫三部作です。「無人島に流された時に本を持っていくなら何を持って行くか」というのがよくありますが、僕はためらわず、メーテルリンクの昆虫三部作を持って行きたいといつも思っているんです。 この昆虫三部作は本当に素晴らしいです。
僕の大先輩で、講談社の編集担当役員の人が、「内田君、何かおもしろい本はないか」と言うので、編集の大先輩だから、あまり通俗的な本を紹介しても失礼かなというので、メーテルリンクの昆虫三部作を推薦したんです。 その後、しばらくして会ったら、「内田君にだまされてひどい目に遭ったよ」と怒っているんです。 「どうしたんですか」と聞いたら、「内田君がすごい本だと言うので読んでみたら、ちんぷんかんぷんでわけ判らない。本を買うお金とか、読んだ時間とか、内田君にだまされて損した」と怒っている訳です。 かねてから大した人じゃないなとは思っていたんですが、やっぱりそうでした。納得いきました。
この三部作がどんなふうにすごいかというと、蜜蜂、蟻、白蟻と、昆虫のことについて書かれているでしょう。 そうすると、『ファーブル昆虫記』を思いつきますね。 『ファーブル昆虫記』は自然科学書なんです。 メーテルリンクも、『青い鳥』という小説を書いていますが、昆虫三部作は自然科学書でもあるんです。 しかし同時に文学書としても読める訳です。 あるいは哲学書としても、宇宙論としても読める。 昆虫の世界にものすごく畏敬の念を持って、恐れ敬う気持ちで書いているわけで、だからある種の宗教書でもあるわけです。 でも宗教書でもなければ、自然科学書でもなければ、小説でもなければ、哲学書でもないんです。 ないのだけど、そのすべてなんです。 僕は本が好きなので、たくさん読んでいますが、こんな本はメーテルリンクの昆虫三部作だけです。 ほかにもソローの『ウォールデン-森の生活』とかありますが、ああいうのは森の生活、自然に帰れという単純なテーマの作品だと思います。 ところがメーテルリンクの昆虫三部作は、実に奥深い本なんです。 工作舎から出版されていて、まだ絶版になっていません。 興味があったら読んでください。 相当歯ごたえがあります。かみしめればかみしめるほど味があります。
だから当時のノーベル文学賞の選考委員は偉いなと思います。 『蜜蜂の生活』というタイトルにノーベル文学賞をあげた選考委員の人もすごいなと思います。
今後最大のテーマは「エコロジー」
メーテルリンクが最初に書いたのは『蜜蜂の生活』、2番目が『蟻の生活』、3冊目は『白蟻の生活』なんです。 中でも特に面白いのは『白蟻の生活』です。 白蟻というのは、砂漠のようなところに住んでいる種類もいて、蟻塚は大きなものだと2メートルを超す巨大なものもあります。 白蟻は地下生活、真っ暗な所に住んでいるので目が見えないんです。 けれども完璧なエコシステムを作っていたり、葉を集めてきて、巣の中で発酵させてキノコを栽培し、そのキノコを食べるという自給自足を行なっている種類もいます。 つまり自然と共生して一大社会を築き上げている訳です。 白蟻の地下王国ですね。それが実に感動的に描かれているわけです。 まさにエコロジーなんです。
今年が2008年で、2010年まで、後2年。
2年後には、世界中で干ばつやその他の異常気象が原因で、5,000万人の難民が出ると、ディスカバリーチャンネルで放送していました。
さらに、あと100年後には、50%の哺乳動物が絶滅して、気温も6度か7度上がって、果たして人類が生き延びていけるかどうかというわけです。
これから、ますますエコロジーというのは最大のテーマになってくるんです。
しかし昆虫たちは、自然にさからわないで、ゴキブリなんて2億年ぐらい生きています。
蟻だって1億年ぐらい生きています。
我々人類なんて、たかだか五、六百万年前に原始人類が産まれて、現世人類、我々は地球に誕生して60万年ぐらいです。
地球に生きる知恵というのは、昆虫に教わるべきなんじゃないかと思うんです。
しかしながらエコロジーをテーマにした作品というのは、僕はあまり好きじゃないんですけど、やっぱり宮崎駿さんが思い浮かびます。
『もののけ姫』なんていうのは、森の神を殺すという物語で、人間がタタラ製鉄をやって、木を切り倒して鉄をつくり、自然を破壊していく。
挙げ句の果てに、森の主、白い鹿・シシ神様を殺してしまうという話です。
だけれども、ラストシーンでは森の自然が再生するわけです。
全部、また花盛りになって「おわり」となる。
『となりのトトロ』も武蔵野の雑木林ですね。
こういった映画が、あれだけの観客動員をしている訳です。
エコロジーが商品になるのとか言われてしまうんですが、でもさすが、宮崎さんはすごいなと思います。
エコロジーを商品化したというのはまだあまりお目にかかっていないんじゃないかと思うんですが、「昆虫化世代」、「昆虫化人間」は、エコロジーを求めている訳です。
というような形で、時間が来ましたのでこの辺で終わります。 話があちこち飛んだりして聞きづらかったかもしれませんが、今日話したかったことは以上です。お疲れさまでした。
- 講演者
- 内田 勝 (当時:ソニー・デジタルエンタテインメント 顧問)
- 日時
- 2008年1月16(水)10:30~12:00
- 場所
- ソニー・デジタルエンタテインメント大会議室
- 出席者
- 社員
編集部より
内田勝さんは本講演の4か月後、惜しまれながらお亡くなりになりました。
本講演はソニー・デジタルエンタテインメントの社員向けに実施されたものでしたが、現在のエンターテインメント業界にも非常に示唆に富む内容になっているため、本サイトに掲載させていただきました。改めて故人の冥福をお祈りいたします。