『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』を生み出した伝説の編集者、内田 勝からラストメッセージ
大衆化から群衆化、そして個衆化の時代へ
我々が住む社会全体に、ひとりひとりの個人がいます。
「A世代」、つまり、お産婆さんに取り上げてもらって生まれ育った子供たちというのは、自分の存在は他者の存在によって成り立っていると考えています。
ところが60年以降の「B世代」、「お産革命」以後の「無菌室ベビー」というのは、自分の生命存在は、自分単独で成り立っているんだということで、非常に個的存在ということが刷り込まれています。
そうするとバラバラになってしまって社会が成り立ちません。
それでどうしたかといいますと、ここに今度は漫画好きな連中が集まったり、ロックの好きなのが集まったり、車好きが集まったり、これはいわゆるオタクで、『ホットドッグ・プレス』などは、まさにオタクを対象にした生活専門情報誌ということが言えるかと思います。
個性の尊重とか、個人の価値観、アイデンティティーの確率、それはそれで結構なんですが、個人個人が全てバラバラでは社会が成り立たないんです。 じゃあ、どうするかと言うと、個人と個人が結びつかなくてはいけない訳です。 昔の世代、旧世代という言い方をしますが、放っておいても、愛社精神がありました。 ソニーのために頑張ろうとか、自分の会社のために一所懸命やろうという考え方が主流だったんです。 ですが、新しい世代になると、そういった、会社のために頑張ろうというのが関係なくなってしまう訳です。
それからまた実際に人間の行動を考えると、先ほど、論理型人間と直感型人間という分け方をしました。 が、実際生きていく上で、人には両方が必要な訳です。 「論理」と「直感」、「線的な情報伝達媒体」、「面的な情報伝達媒体」、最終的には両方必要なんです。
では、「線的な情報伝達媒体」と「面的な情報伝達媒体」を、どうやって合体させるか。 実はその合体させる役割を果たしたのが、実はコンピュータメディアです。 だからここの図でわかったと思いますが、これは何とネットワーク社会なんです。 今はあちこちで聞きますが、ネットワーク社会とは何なのかといったら、「面的な情報伝達」、「個的な存在」を「線的情報伝達」でつなぐ、線でつないでネットワーク社会を作るということです。 これに僕が気付いたのは、宗方さんと一緒にアニマックスの立ち上げ準備をしていた、10年前です。 その時に頼まれて書いたのが、僕の著作『奇の発想』です。 本を書くにあたって、昔話だけではしようがないので、何か新しい分析を入れようと考え、オリジナルで思いついたのが、このネットワーク社会のイメージです。
60年代高度成長の頃は、「総合誌の時代」。
総合誌というのは1冊で色々なことが広範囲に渡って書いてある訳です。
例えば『婦人倶楽部』などというのを買うと、お料理からファッション、家事、子供の育て方、妊娠、お産のことまで全部書いてあります。
それが総合誌です。
それが70年代に入ると「専門誌の時代」に入ってきます。
その後のシラケ世代、『ホットドッグ・プレス』などを作った時の、60年代以降に生まれたオタクたちのことを、「群衆化」の世代と言ったんです。
この「群衆化」というのは、博報堂の生活総研の厚いレポートの中で提唱されたんです。
それに対して僕がこの本を書いた時に色々考えて、この図をどう言葉にするかというので考えたのが、今日の最初の見出しにありました「個衆化世代」です。 「大衆化」の時代から「群衆化」の時代、「群衆化」の時代から「個衆化」の時代です。 「個衆化」というのは、個を重要視するんだけれども、人は1人だけでは生きていけませんね。 だから線で結びつき、1つの大衆消費社会を作ります。 「個衆化」という、いいキーワードを考えついたので、相当流行るのじゃないかと思っていたんですが、10年たってもあまりみなさん、「個衆化」という言葉を使っていなくて、ちょっと残念です。
最近はますます、自分の生命存在は自分1個で成り立っているという傾向が強まっています。 少子化というのも、それに関係している訳です。 というのは、兄弟の数が多いと、兄弟げんかがあって、食べ物、おやつを奪い合ったりして社会化するんですが、一人っ子だと社会化しない訳です。 全て自分一人のものになる。 だからどんどん、個的集団に、個が深まっていく訳です。
CS放送というのは「群衆化」の時代、雑誌で言うと70年代の専門誌時代です。 それがハードウェアの進化によって、初めて90年代に群衆化の時代、専門チャンネルの時代が来ました。 その後に、いよいよ「個衆化」の時代が来ると、僕はそう予想していたんです。 この本を書いたときに、「個衆化」というキーワードを提唱した時には、携帯電話も、サラリーマンがせいぜいビジネスの連絡用に使っていた位で、一般化していません。 インターネットも、まだありませんでした。 この10年あまりで、携帯電話、そしてインターネットが登場、一般化し、絵に描いたみたいに、予想した通りの状況、「個衆化」の時代になってきています。
「第二の性」は、「女性」では無く「男性」
さて、昆虫化世代であるところの現代人、今の若い人たちというのは一体何なのかということを考えてみました。 例えば三角形の面積を求めなさいと言われたら、みんなは「底辺×高さ÷2」と、すぐにパッと、子供でも公式が出る訳です。 もし、この公式を知らないでそういう問題を出されたら、三角形を見つめて、一生考えて、ことによると、死ぬまで考えても判らないかもしれない。 公式を知っているから、答えがすぐに出せる訳です。
この表の話に戻りますが、今日、この話に入る前に、福田さんの部屋でちょっと話していたんですが、福田さんがこれを見てぱっと言ったのは、 「今は何といったって女性優位の時代だから、当然女の子がたくさん生まれているのじゃないかと思った」と。 だけど実は男の方が昔から多いということは変わらずにある訳です。では、何故男の方が多く生まれるのか。
ボーボワールが1949年に『第二の性』という、有名な、ウーマンリブの走りになった論文を発表しました。 女性は社会的に抑圧されている、第二の性を余儀なくされているという論文です。 それは是正しなくてはいけないというのがボーボワールの主張でした。 だけども、別にボーボワールに張り合うつもりはないですが、僕に言わせれば、実は男が第二の性なんです。 それはどういうことかというと、進化論の本をちょっと読むとすぐわかりますが、もともと生命というのは単性生殖だったんです。 単性生殖だと遺伝子がずっと同じですから進化しないんです。 イソギンチャクなどは10億年前ぐらいに地球に誕生したと思いますが、ずっとそのままなんです。 環境が変わると生き延びていけないので、遺伝子を混ぜ合わせることが、生命を維持していく上で必要なことだというので、ここで初めて、雄の性が生まれる訳です。 ですから雄はセカンドセックスで、女性が根源的なセックスなんです。 だから女性の方が、赤ん坊の時も育ちやすい、男の方が育てにくいと昔は良く言っていたんです。
セカンドセックスである男は、後から生まれてきた世代であり、生物的に弱いんです。 平均寿命も女性に比べて短いですしね。 だからこそ、男の子はたくさん生まれてくるのですが、乳幼児死亡率が高いこともあって、結婚適齢期で大体、男女同数、雄雌同数になる訳です。 僕は何人か、産婦人科のお医者さんに聞いたんですが、流産というのがあるじゃないですか。流産も男の子が圧倒的に多いということです。 流産になってしまった赤ん坊は、出生の統計には入りません。 実は男の子の赤ん坊はもっとたくさん生まれている筈なんです。 昔は薬もなかったし、医学も発達していませんでした。 人類が誕生して60万年ぐらいですが、男をたくさん産むというのは自然の摂理として理にかなっている訳です。
ところが60年代でお産革命、科学技術の発達により、我々は自然の摂理にさからってしまったのです。 どうなるかといったら、今日は男性方に耳の痛い、聞きづらい話になると思って予告しておきましたが、男の子が死なないで、そのまま育っちゃう訳です。 そうすると毎年毎年、男が3万人ないし4万人、女性よりも多いわけです。その程度の数は大した違いじゃないといっても、10年たつと30万、40万になってしまう訳です。 今は結婚出来ない男性、あの辺りに座っていますけど、高松さんだけじゃないんです、どんどん増えている訳です。
そうするとどうなるか。
面白い現象なんですが、数の多い男の価値観が優先するかというと、そうじゃないんです。 数の少ない女性の価値観が優先するわけです。 男が余っているわけですから、何とかしないと、自分は恋人も持てない、結婚も出来ない、家庭も持てない、子供も持てない、そういう男がどんどんあふれていくわけです。 そうすると、これまであんなに威張っていた男連中が、今は何とか恋人を見つけようとか、結婚相手を見つけようということで、女性の価値観に合わせざるを得なくなる訳です。 結果、女性の価値観の方が優位に立つんです。
昨年の暮れに「紅白歌合戦」を見ていましたが、男性ボーカリストがみんな高音、昔で言うと金切り声というか、すごく高い声で歌うんです。 男性ボーカリストが女性的な発声法です。 あれは女性のファンをつかまえないと、今はミュージシャンとしてやっていけない、CDも売れないような形で、レコード会社もそこら辺を考えてる訳ですね。 昔のように、野太い、男らいし声で歌っているのは誰かといったら、和田アキ子くらいで、逆転現象です。 これは、昆虫社会、蜂や蟻の社会と同じなんですね。
今の社会は、女王蜂社会、女王蟻社会と考えると、すごくわかりやすい。 しかも携帯世代のお客さん、ユーザーというのは、みんな「個衆化」の時代の人たちでしょう。 そうすると、30代、40代の男性には、若い女の子の心理状態とか行動様式、意識構造というのはつかめません。 ですから最初に福田さんに、女の子を集めましょう、よりユーザーに近い人たちに集まってもらおうと言った訳です。
もう一つ大事なのは、線的情報伝達の時代とはどういうことかといったら、プロがドン!と上にいるんです。 出版の世界でも大家という、佐藤春夫なんて文壇のボスだったんですが、門弟が3,000人もいました。嘘みたいな話ですが、先生の原稿、「玉稿」というんですが、それをいただいて、「へへー!」とひれ伏さんばかりにして頂戴する。 読者も、これは佐藤春夫先生の作品だということで、「へへー!」と読む訳です。 そういった、プロと読者の関係を、「上から下へのジャーナリズム」と僕は言ったんです。
それに対して、群衆化の時代の『ホットドッグ・プレス』の時は、「僕たちジャーナリズム」という言葉を使ったんです。