力を持つのは「人間」で「国家」ではない
中田:私はオリンピックは反対なんです。小さな政府論者なんです。というか、「そもそも政府なんかあるべきでない」という考え方なので……。という以前に、私は哲学者なので、「原理原則から考えていく」というのが基本的なスタンスなので。特にイスラムでは、人間が責任を負うというのは、究極的に何かと言うと、身体性なわけですね。身体性が責任を担保して、罰を受けるということです。法人は身体がないわけですから、責任を負えないわけです。だから、そもそも法人があってはいけないんで、国家もあってはいけないわけですね。そんな考え方なので、国家に何かをしてもらうとか、そういうのは全て反対というか、そもそもあってはいけないというか、おかしいわけですね。 ただ、さっきも言いましたけれども、人間はみんな違うので、力がある人間はいます。その力がある人間が、力がない人間を押さえつける。いいか悪いかは別にして、自然の摂理はだいたいそういうものですよね。でも、「国家」という人間じゃないものに力を持たせるのは、全て私は反対なんです。 それが、特に民主主義というのは……もちろんいいこともあるわけですが、イデオロギーのレベル、考え方のレベルで、「みんなが賛成したからこれをやりましょう」という、そういうことになるわけですね。多数決で決まったことは、みんな賛成したことにしてしまうって、これが間違いというか。例えば道路を作るとか……道があって、1人だけが反対していて道が作れない。これはやっぱり困るわけですね。その場合は無理やりにやらせてしまう。それはもう仕方がない。それはそれで力関係でいいんですけど、オリンピックに税金を使うというのは……。やりたい人間だけがやればいいんですよね。だから私はその意味では、あらゆる文化的なものに国家がお金を出すのは反対なんですね。国家の役割は本当にわずかであって、国防と道を作るとか……。
福田:オリンピックってナショナリズムですもんね。国ごとにやらなきゃいけないというフレームがおかしいですよね。「人類平和」と言っておきながら。
中田:そうなんです。なので、本当にそんなことのためにお金を使って……というのは、そもそもコロナがあろうとなかろうと反対なんですね。でもやっと……今日は新聞がはっきり反対というのがTwitterで出ていましたね。
福田:そうですね、朝日新聞が言ってましたね。
中田:それでも、結局彼らはスポンサーをやってますからね、どこまで本気で言っているのかわからないけど。 私は東京オリンピックは覚えてないんですけど、確かにあの頃には「日本人みんな」という、「日本人一生懸命頑張っていこう」というのはあったかもしれないけど、今はそういう時代じゃないですから、実際。ほとんどの人間はそんなこと思ってないわけですね。それを本当に、利権団体というかが内輪で商業的にやっているだけですから、そんなものにお金をかけちゃいけないということを、こんなことになる前に言うべきでしたよね。