熱量は整えず、そのまま出したい
福田:映画『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー賞を受賞した韓国のポン・ジュノ監督が、凱旋記者会見でこんなスピーチをして話題になりました。「私が若かりし頃、映画を勉強していたときに深く心に刻まれた言葉がありました。それは“最も個人的なことが最もクリエイティブなことだ”です。これは、私たちの偉大なマーティン・スコセッシの言葉です」という。
このスコセッシの言葉のように、クリエイティブには本当に、そういう側面があると思うんですよね。「のん」という才能ある人が、映画の脚本を書いたというのが面白いし……彼女はセルフモチベーティッド(自分ごと化)に、常に社会との接点を考えているクリエイターなんです。いわゆる「業界のコネクションから来た」的な仕事をなんとなくやる、という受け身な姿勢は全くありません。
そして自分自身の立ち位置でいうと、「ビジネスマンでいるということは、マーケターでいるということと同義である」と思っています。でもそういうものをすくい上げる感性ある人が、残念ながら旧来のエンターテインメント業界には減っている。じゃあジリ貧で、日本のエンターテインメント業界は駄目になる一方なのかといったらそんなことはなくて、やっぱり若い力は出てきているし、原作者にしてもすごく面白いものがいっぱい出てきている。辺境から多様な才能が出てくる一方で、ハリウッドは、世界各国で制作しているNetflixの影響で衰退している。そういう非常にいいタイミングで、この『Ribbon』という作品が生まれたことは、未来に期待できる一歩だったなと思っています。
宮川:なるほど。脚本の話に戻るのですが、テレビ局のプロデューサーが脚本を読むと、「てにをは」直しに終始してしまうことがあるんですよね。構成だとか、「振りがこうあって、落ちがこうあって」というような、ものすごくテレビ的な……小中学生でもわかるような表現とか、本筋ではないようなことを言ってくることがあります。
のんさんの場合はプロの脚本家ではないから、本自体は粗削りなんですよ。そもそものんさんの中に“プロ”という概念自体がないかもしれないけれど、熱量が凄かった。
福田:そう、粗削りですけれどもね。
宮川:ええ。なので、その熱量を整えてしまっては、面白くないなと思いました。福田さんが意図されていることもきっと、「この熱量を、そのまま形にできないか」というところだろうと思ったし、それがいちばん、のんさんのよさを出せるだろうな、と。お声かけいただいた瞬間、そういう予感と確信が同時に沸き起こりました。なので、「もちろんやりたい!」となったわけです。
伊丹十三さんは、劇場映画第1作『お葬式』をはじめ手掛けられた10作品全てで脚本・監督・俳優を一人で務めましたが、さらにその権利も全て伊丹プロダクションが保有しています。つまり、伊丹さんは作品のクオリティと劇場上映やテレビ放送などの窓口を一括してコントロールするという、今日にも通じるコンテンツビジネスを形作った先駆者でもあります。福田さんとのんさんのタッグということは、そのようなスタイルを再現する可能性も大いにあるだろうと思いました。