『寺はプラットフォーム、仏教はコンテンツである』(対談 青江 覚峰 氏 × 福田 淳 氏) | Talked.jp

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対談  青江 覚峰 氏 × 福田 淳 氏

ニーズはお金で解決できない

福田:それまで、ずっと欲しいものを手に入れてきたのに、急に虚しくなった。

青江:そうですね。だからウォンツを求めることはすごく得意で、誰よりも上手にウォンツを満たすことができたんですけども、一方でニーズは全く満たしてなかったことに気が付いて。

福田:ウォンツとニーズ・・。

青江:仏教に何が提供できるかって、結局、ニーズを満たすことだと僕は思うんですね。仏教には「苦」っていうのがあるんです。でも、その「苦」は決してなくなるものではなくて、なくなることはないけれど、「苦」と共にありながら、どのように生きればいいのかなと、それを示してくれるのが仏教なんですね。

福田:ニーズと苦しみは一緒だと。

青江:仏教でいう「苦」とは「苦しい」だけじゃなくて、「つらい」とかそういう心の機微全てを「苦」っていう言葉で表すんですけども、これ、現代風にいうと、ニーズなんですね。ニーズをいかに満たしていくか。ここで大切なのは、ウォンツを満たすのではないってところなんです。例えば、「お腹が空いた。何か食べたい」、これはニーズです。本来、空腹が満たされさえすれば、それでいいはずなんですが、一方で、「食べるなら美味しいものが食べたい、有名店で食べたい、誰かと一緒に食べたい」となってくると、これはニーズに対してウォンツなんです。ウォンツを満たそうと思うと、今度は享楽になってしまう。で、ここの線引きをしっかりしてニーズのみをしっかりと満たしていこうっていうのが、仏教だと思います。

福田:僕、冗談じゃなく、ウォンツ(欲望)ばっかり追求してきた(笑)。

青江:だから今、自分に何が必要なのか、何が自分を苦しめているのかっていうそこだけに集中して削っていけば、そんなにつらくないんですよね。実は、ウォンツのほうが満たされやすいんですよ。

福田:お金で買えちゃったりね。

青江:そうなんですよ。ニーズって根本的なところを変えないとクリアできなかったりするのに対して、ウォンツはお金で解決できたりすることがすごく多いので。だから今の経済構造ってニーズという言葉にウォンツがすごく巧妙に隠されている。ウォンツを出すことによって、そこで利益が出る構造なんですよ。でも、ニーズだけ解決しようとすると、なかなか利益が出ないんですよね。