『ソーシャルデザイン入門』 電通ソーシャル・デザイン・エンジン代表並河進氏×実業家 福田淳の対談@成蹊大学【後編】

質疑応答1

学生1:面白いお話をありがとうございました。僕が一番印象に残っているのが、お金ではなくて違うものをその価値としてやり取りするというお話が、全体の話の中で興味があったんですけども。お二人にとって、「お金じゃなくて代わりにこれをもらえたらうれしいな」とか、「これをもらえるんだったら、僕は自分のスペシャリティーを発揮するよ」というのは何でしょうか。

福田:僕はもともと、映画監督になりたかったんですね。僕の時代で映画というと、『スター・ウォーズ』なんですが。僕は子どもの頃から人を笑わせるのが好きで、自分でいうのもなんですが、クラスの人気者だったんです。でも映画って、すごい勢いで大勢の人を笑わせたり泣かせたり、感動させたりすることができる。これが自分にとっての最大の喜びで、50歳になった今も全く変わらないんですね。だから自分がやっていることの反応があることが脳内のハッピーなので、やっぱりみんなに「面白いね」「楽しいね」って思わせることが一番喜びですかね。

並河:自分はどんなことをされるとうれしいか、ですよね。難しい質問ですね。人は欲しがると切りがないじゃないですか。有名になりたいとか何でもそうですし、お金もそうだけど、欲望って尽きるところがないし。自分が楽しいとか面白いと思う瞬間ってなんだろうって考えると、自分が考えた概念を形にした瞬間がやっぱりすごく楽しいですね。何かを形にすることが、僕は好きですね。

質疑応答2

学生2:お話ありがとうございます。「お金以外のさまざまなものと交換」っていうお話で、ちょっと極端なんですけど、お金を全く使わずに暮らせる人が今後登場してくるか、登場してこないか、どっちなのかという意見をお聞きしたいです。

福田:僕が学生の時、石神井公園に住んでいたんですね。一番安い定食屋が800円ぐらいしたんですよ。でも今は、250円で食べられるんですよね。中身がいいかどうかは別にして、ものすごいデフレ化が起きていますよね。年収300万円時代って言いますけど、僕らバブル時代で「300万では何もできないよ」って言っていたんですよ。つまり同じ100円でも、100円の価値がなくなったんですね。さっきのシェアエコノミーの話と一緒で、これがずっと普及して地方の人たちみたいに、「野菜取れたから食べて」っていうふうに流通して回っていたら、お金って本当に要らないんですよ。だからお金っていうのは、「共通言語がないとまとまらないね」っていう社会単位の時に、たまたま必要だったんですね。本来お金っていうのはツールにすぎないので、シェアエコノミーのしくみが普及したらなくなると思います。

並河:そうなんですよね。一時期、「かつお節を貨幣にする」というプロジェクトを考えて、「かつお節貨幣使用プロジェクト」みたいなことをやろうとしていた時期があったんですけど、突き詰めていくと、「多分お金と変わらないじゃん」みたいなことになって。結局、便利なんですよね、お金って。しかも腐らない。ただ、問題は、福田さんが「お金はツール」とおっしゃいましたけど、本当は使ってこそ意味があるものなんですよね。食べてもおいしくないし、そもそも食べられないし。だから僕は、お金は名詞じゃなくて、動詞だって言っているんですけど。名詞で捉えると、貯めるのはいいけど、そうすると経済が動かなくなって、幸せの絶対量が減っていっちゃう。だから動詞だと考えて、むしろ使わないとお金が腐っていくとかね、お金がないイコール全部駄目ってなると、社会としてはすごく息苦しいんじゃないかなと思います。

福田:素晴らしい質問でした。

質疑応答3

学生3:今って現金を使わない時代になっているじゃないですか。海外でもカードばっかり使ったりして。日本でも電子マネーとかビットコインとかもあると思うんですけども。今後、現金の存在ってどうなっていくとお考えですか。

福田:最近は銀行も、引き取り手がない口座をどうするかという問題がありましたけど、結局お札っていうものが単なる数字になったり、アプリで残金確認するようになったりすると、お金そのものに対するリアリティーがなくなるので、マネーゲームが起きちゃうんですね。プレステでやっている得点と、口座のお金と一緒くたになっちゃっているような人が一般社会に出て経営者になったりすると、ますますお金に対するリアリティーがなくなると思う。それが、さっきのお金がなくなるようなことの進歩じゃないんですね。逆にお金っていうのがお札としてあるから、フィジカルに捉えられるんであって、そうでなくなったときにマネーゲームになったら、ビットマネーになっちゃうというふうに僕は世の中のことを見ています。僕は株の投資もやらなければ出資とかも全然、よっぽどのこともない限りやらないんですね。なぜなら古いですけど、自分が街に出て、汗かいて稼いだもので、その中から使って暮らしていくっていうほうがはるかにリアリティーがあって、自分の人生の時間が自由に思えるのでそうしているんですけども、どうでしょうか。

並河:お札っていうものを持つ手触りや、お金の大切さを感じるようなことって、放っておくとどんどんなくなっていくじゃないですか。

福田:なくなっていきますね、実際。

並河:逆にそういう手触りでものを感じるようなことは、これから無理してでもつくっていかないと、どんどん体験できなくなる。物事の価値って、やっぱり希少なものほど価値があるから、お金も実際のお札の量がどんどん減っていったら、実際のお札のほうがすごい価値を持つようになるかもしれない。もう一つ別の切り口で見ると、お金っていうのは国にひも付いているけれど、ビットマネーっていったら国にひも付いていなくて、国を超えていったりもして。そういうのは、経済が国の考え方を越えていったときにどうなっていくのかなっていうのは思いますよね。それがいいことなのかどうなのか。過渡期はいろいろ問題が起きるかもしれないけど、でも昔の日本も戦国時代とかで分かれて、藩とかあったわけで、それぞれ分かれてやっていたけど一つの日本っていう国になったように、世界が一つの国になっちゃうかもしれない。すると一つの通貨になるかもしれないですよね。そういうことって普通に考えるとすごく時間のかかることが、ネットがあることで現実に起こる可能性っていうのはあって、それがいいほうに行くかどうかはわからないですけども。

福田:途上国や貧困層の人に、小口の融資や貯蓄のサービスを提供するマイクロファイナンスというしくみもありますよね。アルゼンチンのおばちゃんが5人で羊を買ったら、何とかチーズを作ることができるけれど、それを買うお金がないからっていうことで利用すると、「7カ月ぐらいでこんなにヤギが育ちました」とか、もう仮想ですよね、実際にお金を払っているのかもしれませんけど、リターンの部分って、もう一回再投資するので、数字はパソコンの中だけなんですけど。でもアルゼンチンの山奥では、その羊がちゃんと元気に育っていたりするので。ああいうのが、ICTを通じたコミュニティーのグローバル化だと僕は思っていて。そういうのも、現金というか、貨幣に頼らない新しい社会なのかなと思いましたね。

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