100歩1円。歩けばアフリカの給食に
並河: 僕がソーシャルデザインに関わる最初のきっかけになったのが、2008年から始めた、「nepia 千のトイレプロジェクト」です。売り上げの一部で東ティモールのトイレづくりを支援する活動で、ずっと続けています。
https://1000toilets.com/
「これを買うと寄付につながります」という一番最近の事例を挙げると、『FiNC』というヘルスケアのアプリをダウンロードして歩くだけで、1000歩で1円の寄付につながるという「GiFT WALK」というプロジェクト。『TABLE FOR TWO』を通して、寄付金はアフリカの子どもたちの給食になります。期間を決めて、まず1カ月間やったんですが、300万円くらいの寄付になりました。みんなが歩くと、サイト上の歩数と寄付金額がどんどん上がっていくので、歩くモチベーションにもなる。「あなたが健康になる、それと同時に、アフリカの子どもたちにも給食が届く。みんな一緒に健康になろうよ」という呼びかけです。
https://company.finc.com/event/giftwalk/
寄付やチャリティーは人間らしい行為
並河: コーズリレーテッドマーケティングというと、「一つ買うと100円寄付とか10円寄付という形にすればいいんですよね」と考えがちなんですが、それよりも、その寄付に参加することが、世の中の人にとって、どういう意味を持つのかを、いつも第一に考えています。例えば、それが仲間と志を共有する、誇らしい行為になり得るとしたら、少しでもそう感じられるようデザインするべきだと思って、志を一つにできるリングを作ったりあるいは、「寄付って気持ちがちょっと前向きになる行為かもしれない」という前提のもとで、「失恋ボックス」のような仕組みを考えたり、あるいは、「誰もが誰かのお世話になっていて、誰もが誰かのお世話もしている。つまり、寄付することって、例えば子どもの頃、誰かにお世話になった恩を、また別の誰かに返す行為かもしれない」と感じ取れるような設計にしたり、あるいは、『Search for 3.11』なら、震災のことを忘れていないよ、という意思表示も兼ねていたり、どうやったら企業と市民が一緒になって寄付することで一体感が生まれてくるんだろう、ということを常に意識しています。 今回こういうファンドレイジングの場でお話しするということで、自分がやってきたソーシャルデザインの側面から、改めて寄付することの意味付けについて考えてみたんですけど、なんで寄付するか、寄付する一人一人が考えなきゃいけないと思うんです。例えば、食事を買う理由は、「おなかが減ったから」って、明快じゃないですか。でも寄付するって、一人一人いろんな位置付けがある。それがソーシャルデザインというかファンドレイジングの面白いところなんですよね。寄付することとか、チャリティー活動に参加することって、人間らしい行為なんです。人間の内面を見つめることに他ならなくて、だからこそ結構奥深くて面白いんじゃないかな、と思っています。僕からの話は以上です。ありがとうございます。
河内山:ありがとうございます。
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ソーシャルデザイン入門~「自分のため」から「社会のため」へ。多様化する価値観にどう伝えていくか~【後編】