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「金魚博士」の生い立ち(1)

魚と海が教えてくれた経営論 Talked.jp

福田:理事長の「社会との接点があってこそのクリエイティブ」という考えは、本当に大事だなと僕も思います。

生意気ですけれども、今コンサルタントの仕事をお請けする中で、社会との接点をあまり考えてない方も少なくないんですよね。そういう「社会とお金と仕事」のような考え方というのは、多くの場合、その方の幼少期に起因するというか、後天的な影響で形成されるような気がしています。僕の場合は、良いか悪いかは別として、次男だったんですね。

岡本:私も次男ですよ。だから、考え方に共通点があるのかもしれませんね。

福田:言い方はなんですが、次男というのは「チャレンジ枠」なんですよね。親のエネルギーも、長男長女の時におおよそ使い切っちゃって(笑)。僕の兄は大学卒業して入社した企業では、真面目一貫でずっと経理をやっていまして。一方の僕は、自分が創業した会社も10年経ったら辞めてしまうくらい、すぐに飽きちゃう。岡本理事長はもちろん僕とは全然違うと思うんですけども、かつてどんな子ども時代を過ごされたのでしょうか。

岡本:小学生の時は、野球少年でした。そして動物も好きで、金魚も飼っていたし、鳩も飼っていたし、いろんな生き物を捕りに行っては、「何とか生きてくれないかな」と思ってあれこれやっていました。フナとかドジョウとか、とにかく捕ったものは全部バケツいっぱいに入れて、家に持ち帰っていましたね。

福田:男の子っぽいですよね。

岡本:ところが、たくさん捕ってくるもんだから酸素不足で、全部死んでしまうんですよ。僕は生まれが名古屋なんですが、隣接する海部郡は、水郷地帯である風土から、鯉などの淡水魚を食べる文化があるんですね。祝い事には新聞紙にくるんで生きている鯉を持っていくのです。僕はまだ微かに息をしている鯉を何とか生かそうと思って、大きなたらいに入れ、口をパクパクさせているところに水を入れたり。生き返ったときの喜びは表現できないですね。

福田:普通の子どもだったら、「お祭りの金魚すくいで捕った金魚が次の日に死んじゃった」っていうことを繰り返すわけなんですけど。でも、なんとか生かそうと、魚との関わりが深かったんですね。

岡本:そうですね。しつこいんですね(笑)。「まだ生きているから助けたい」というか、そういう気持ちはありました。

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