「金魚博士」の生い立ち(2)
福田:そして、そんな理事長が水産の道に進まれたというのは、社会人になる時にどういう選択をされたのでしょう。
岡本:大学卒業後は、愛知県の水産試験場に行く予定だったんですね。当時、水産大学から水産試験場へというのは、一般的な進路でしたので。それで愛知県の水産課長にお会いして、「これからの愛知県の水産は、渥美半島の先端に栽培センターをつくる」と、いろいろ説明を受けまして、最後に「君、期待しているからね」って言われたんですよ。
福田:もう卒業後の路線としては決まっていたわけですね。
岡本:そう、頑張ってやってもらいたいと。ところが大学4年間まるで勉強していなかったもので、小心な気持ちが出て、「申し訳ないので、勉強してからもう一度出直します」という手紙を書いて、お断りしたんです。それで大学院に進んで、今度は水産庁に入ろうかなと。でも、就職の段になって、僕だけ落ちまして。まわりはみんな、いろいろな就職口に決まったのにね。まぁよく考えたら、自分には教養がなかったんですけども。
福田:そんなことはないでしょう。
岡本:いえ、一般教養科目が全然、出来なかったんですよ。
福田:ははぁ。だからやっぱり、好きなことが好き過ぎるんですね。分かります、すごく。分からない分野だと、興味がない。これは、世界中の「次男の特徴」なんですよ(笑)。
岡本:次男の特徴か(笑)。たしかにそうですね。うちの兄も、福田さんのお兄さんとたしかにそっくりですよ。兄は公務員になって、上の役職まで行きましたけれども、「信明、俺とお前は小さいときから本当に違うよね」って言われましたね。
福田:でも、違うことがいいんですよね、社会はね。みんな同じでも困りますからね。イノベーターばかりだと、今度は社会が立ち行かない。
岡本:必要なんですよ。本体の8割は、いわれたことが確実にできる人でなければダメなんです。
福田:大事です。
岡本:学校の事務職員の採用でも、僕は必ず言うんです。「皆さんは学校では、イノベーションや研究とか、新しいことが大事と習ってきたかと思います。でも、ここでやることは違います」と。「ここでは、同じことを間違いなく繰り返すことが重要です。決められことを決められた通りにやることが評価されます」と言うんですね。ある分野では、同じことの繰り返しができないと駄目なんですよ。
福田:そうすると逆に結果オーライで、理事長の場合は就職試験に落ちて良かったわけですね。
岡本:そうですね。まわりはみんな就職が決まって、誰も手が空いているのがいないという時に、急に大学で助手の口ができて。
福田:水産試験場でも省庁でもなく、学校に。
岡本:はい。ちょうど支笏湖で、当時ヒメマスにカビ病が出たんですよ。それが問題になって、国会でも「どうなってるんだ」と追及されたんですね。それで大学にその分野に特化した講座を作ることになって、人を集めなきゃならなくなったんですね。急な話で誰もいないわけですよ。それで、「岡本、お前やるか」と声がかかったわけです。
福田:それは、何という学問ですか。
岡本:水族病理学ですね。病気を扱う研究室というのはもともとあったんですけども、生理学と病理学を分けて、独立させることになったんです。でも親には反対されました。「お前は何を考えているんだ」と。
福田:どうしてですか。
岡本:僕が勉強嫌いだったことを、親はよくわかっていたからでしょうね。「お前は活字を読まずに、図鑑の絵ばっかり見ていたじゃないか」と。当時、僕は築地でアルバイトもしていたんですが、そこの親方にも「お前は何を考えているんだ。学校なんて、働いた分に見合った給料はもらえないぞ。俺が店ぐらい出してやる」って言われましたね。
福田:そういうことですか。つまり、雇われるのは不向きで、自分でやったほうがいいタイプだった。
岡本:なぜか商売に向いていると思われたようです。