SNSが生んだ功罪
福田:この間、面白い方と会ったのを思い出しました。有名な芸能事務所の会長で、雑談が面白くて。「福田君さ、10月19日か20日、恵比寿神社に行こう」って。
柳瀬:恵比寿神社は、東口のあの小さいところですね。
福田:そう、ケンタッキーの裏のほうにある。で、「あそこはね、大吟醸を持っていってお祈りすると、神様が下りてきて肩をぽんぽんとたたいてくれて、一週間以内に奇跡が起きるとから」って、日本昔ばなしみたいな口調で言われたんですよね。それで持っていきましたよ、大吟醸も。その日は「べったら市」という、神様が来る日と言われているお祭りなんですね。当日は本当に長蛇の列でした。
柳瀬:有名なお祭りだったんですね。
福田:はい。で、行ってもそんな奇跡は起きていないんです。じゃあこれって何かなって思ったとき、”余裕”なんだなと。「必死で成し遂げたい!」っていう人は、会社もある平日に行けないですよ。でもわざわざ神社にお参りに行くっていうのは、ゆとりがあるってこと。寛容の精神、ゆとりですよね。
最近はSNSが便利ですけど、それも功罪があって、特にTwitterなんかでは匿名で人を叩くじゃないですか。あちこちで炎上が起こっていて。だからそういう神社に行くゆとりや余裕の気持ち。これはさっきの新元号の話と一緒で、結局人間社会を司っているのは、「みんなの感覚値の中に自分がいる」っていう。そういう感情がマーケッターとして必要じゃないかなと思いました。
柳瀬:逆に今、その寛容の精神がなくなっているのは、実は単純にスマホとSNSなんですね。僕が今、学生にやっているメディア論の授業は、マーシャル・マクルーハンっていう人がかつて、メディアメッセージでやるって言った話を実はベースにしているんですけど。
どういうことかっていうと、メディアって「コンテンツ=メディア」とみんなすぐに思っちゃうんですけど。実はメディアって、ハードウエアとプラットフォームでできているんですね。具体的にいうと、手で持てるスマートフォンというものがハードウエアです。これで何を見るかが既定されるわけです。ここに今、テレビもラジオも全部入っていますよね。でも、ここで見るテレビは、こういう画面で見るテレビと同じものでも消費の形態が違うから、私たちに与える影響のパターンは全然違うはずなんですよ。ラジオでもテキストでも全部そうなんですね。
じゃあSNSって何かっていうと、この小さい画面上で、140字でツイートする。みんな、難しいことは考えません。ここに出るのはただの見出しです。と、どうなるかというと、Twitterの場では、みんな考えずに動物的になるわけです。徹底的に感情的に反応するから、良くも悪くも好き嫌いが全てになる。好き嫌いで好きだけが集まっているから、仲間内はものすごくアットホームでチームができます。でも敵対関係になったら、罵詈雑言
福田:フィルターバブルですよね。自分が好んで属する世界の中で温かく生きていける。リターゲティングなんかもいけないと思うんです。一度でもなにかを検索すると、べつのSNSやサイトに全部その検索結果が出てきちゃう。そういう環境が何重にも重なったとき、やっぱり異物を排除する力が強くなっちゃった。これがさっきの功罪、罪のほう。