今必要なのは、「遅くあること」
柳瀬:全部が悪いわけではなく、そういう特性がありますと。自分でぼんやりゆっくり考えたり、町を歩いたりっていう、徹底的に体と頭が一緒にリニアに動いていって、体験する経験でしか得られない発想は、SNS上ではなかなか出てこないんです。アイデアは出てきても、長いコンテンツは出てこない。
2ちゃんねる時代は、電車男が生まれましたね。でもあれは、今よりもかなりスローな状態で生まれているんですよ。デスクトップパソコンが自宅にあって、オタクたちがゆっくりとパソコンだけを見ている。で、それぞれが議論して、あの電車男になったわけです。今だとあの話は、SNS上でみんなが「エルメスさんと交際できるためにはどうしたらいいか」って誰かが言ったら、お店のリストを誰かがぱあっとシェアして、「エルメスさん、2日後落ちました!」で終わり。コンテンツにならないですよね。100万部の本にもならない。それってどういうことかっていうと、僕が今、絶対必要だと思うのは「遅くある」っていうこと。それがすごく重要だと思うんですよ。
福田:この間、ブックディレクターの幅允孝さんと、「読書っていう趣味の概念が変わった」という話をしました。昔、履歴書を出すときに、趣味は読書と書きましたけども、本当に「読書」してましたよ。でも今は読書するっていう人、ものすごい少なくて特殊でしょ。だって何が苦しいって、シェアできないし、人とつながれないし。大体、本というのは孤独を強いますよね。孤独を強い出せさせるものが流行るっていうことは、不可逆的過ぎて、あり得ないですよね。
柳瀬:アメリカのインターネットのカルチャーを作った雑誌「WIRED」の日本版WIRED松島倫明編集長が、WIREDのリブート版を出すに当たって取材をしてきたんですよ。インターネットの黎明期からのグル、ケヴィン・ケリーと、「WIRE」の編集長だったクリス・アンダーセン。印象的だったのは、2人とも「WIRED」を編集する上で「ニュースは絶対追うな」と。ウェブの中心にいる人間が、意味ないからニュースを追うなと言うんです。で、何をするかというと、本を読めと言っていました。僕も同様に学生に言っています。結局、ウェブで「好き嫌いの情報」を100万個見ても、ほとんど知恵は付かない。でも本で得られる知恵というのは、圧倒的に、むしろ昔よりも価値が高くなっている。
だから100万回ツィートしている暇があったら、トーマス・マンやドストエフスキーを読むほうが、実は現代社会においても役に立つはずなんですよね。変な話、実用性は昔より今のほうが、読書する行為、しかも純文学を読んだりする行為が高くなっているはずです。遅く考えるということをみんなしなくなったけど、自分のスピードで本を読んで、自分で街を歩くと、体のスピードでしか考えることできないから、必然的に遅く考えますよね。
福田:本当にそうだと思います。皆さん、どうですか。この1週間で見た、スマホのデジタル広告でなにか買い物されたでしょうか。僕はほぼないですよ。つまりデジタル広告って見るんですけど、神経系で、手足にならない。自分がずっと欲しくてAmazonで検索して買うことはあるかもしれませんけど、受け身の広告としては体が欲していない。だからデジタル広告って、苦しくなってきちゃった。さっきの自分のスピードで歩き、触ったもので関心を持ったものって、やっぱり血となり肉となる。そうやって考えると、今日のセミナーもむちゃくちゃ昭和っぽいんですけど、「体を使え」っていうことですね。自分の目で、よく見極めろと。