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アートやクリエイティブは ハードな制約を受けている

ブロックチェーン×アートで新時代のイノベーションを起こす Talked.jp

福田:僕は次男だったからなのか、両親が好き放題やらせてくれて、子どもの頃からずっと「映画監督になりたい」と思っていました。施井さんは1977年生まれだそうですが、ちょうど映画『スターウォーズ』が公開された年なんですよ。

施井:そうなんですか。初めて聞きました。

福田:77年ってすごいんですよ。世界が変わった年なんです。77年は第2次SFブームで、『スターログ』というアメリカの月刊SF映画雑誌が創刊されました。僕は12歳だったんですけども、ここで変わったんですよね。SFばっかり読んだり観たり、それで映画監督になるんだって決めたんです。で、当時は8ミリですよね。1カセットで3分12秒しか撮れないから、当時の映画はみんな3分以内です。で、NG出るともっと短い(笑)

施井:その時代には、もう既に映画を撮り始めておられたんですね。

福田:はい、自主制作していました。日大芸術学部に入ったんですけど、「学校から家まで」っていう課題があって。みんな貧乏学生で、フィルム代がないと学校に来られないんです。僕が入った1985年に日大芸術学部では映像学科にVHSで撮れるコースができて、カセットを「ガシャッ」って入れて撮れば60分撮れるようになったんですけどね。でもフィルムをたくさん買えない学生は、課題を撮るときにNGを出すとどんどん尺が短くなるから、監督としてノーと言えなくなって、そこで才能がそぎ落とされてしまうという。

施井:そぎ落とされちゃったんですね。それで作風が生まれたとかじゃなくて。

福田:メディアの仕事を30年やってきて思ったのは、アートとかクリエイティブって自由なはずなのに、自由じゃないんです。すごくハードな制約を受けているんですよね。

施井:たしかに、そうですね。

福田:もう少しだけ自己紹介の続きをしますと、大学卒業後は東北新社というCM制作会社入って、30歳になったときにハリウッドの映画会社・ソニー・ピクチャーズに入りました。映画会社という夢は叶ったものの、巨大過ぎてもう全然、映画なんて作らせてもらえないんですよね。ソニー・ピクチャーズでは、新規事業の立ち上げや企業買収などに関わっていました。で、40歳のときに株式会社ソニー・デジタルエンターテインメントを社内起業して、2018年に卒業というか独立しまして。

施井:社内起業されたんですね。

福田:ソニーは気前良くて、好きなことやれと合計7億円も出資してくれました。当時iモードが流行っていたので、それ向けのコンテンツサービスから入って、スマホ時代はLINEでシェアトップになりました。あとはキャラクターマーチャンダイジングだとかゲームなどのコンテンツですね。
で、50歳を過ぎたときに、「もうゲームでもないだろう」と自分で突っ込みを入れて、現在の株式会社スピーディを設立しました。マーケティングの世界から、ブランディングの世界に移行したわけです。

施井:なるほど。

福田:マーケティングが「宣伝部の部長さん」のところに営業に行くのに対して、ブランディングは「経営者のトップ」のところにお伺いして、企業の悩みを解決します。要は、企業の悩みをアイデアと人脈で解決する役目ですね。でも、それだけでは飽き足らずに、仮想通貨が2018年あたりから盛り上がる前夜に、エストニアに会社も作りました。

施井:福田さんの名刺にエストニアの住所が入っているのは、それでなんですね。

福田:でも今は、仮想通貨よりも完全に、キャッシュレスの方向ですよね。先週初めて、中国の深センに行ったんですけど、安い居酒屋にもQRコードがあって、そこからのメニュー選択、からのWeChatPayで。クレジットカードを出したら、すごい嫌な顔をされました。仮想通貨でブロックチェーンというと、今やもうダサいんですけれど、「技術としてのブロックチェーン」はまた違うわけですよね。今日はそのあたりを勉強して帰ろうかなと。長くなりましたが、自己紹介終わりです。

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