アーティストはプロフィールに残るようなことをしてないとダメ
福田:施井さんの年代の起業家って、めちゃくちゃ多いですよね。
施井:そうですね。僕はチームラボの猪子寿之君と同じ歳です。10年前は一緒に展示もしました。
福田:そうなんですか。チームラボの仕事はバンコクもシンガポールも全部行きましたけど、本当みんな楽しそうでした。入場料のビジネスモデルがディズニーランドのようなサブスクリプションモデルで、「アートを見せる」というのがイノベーションでしたね。 猪子さんの初期の頃の伊藤若冲のエディションなんかだと、デジタル作品が一作品約400万円と聞きましたけども、デジタルのエディションって難しいじゃないですか。全部売れたとしても、それまでにかかるプログラマーのコストとかを考えるとなかなか儲けにはならなかった。でも、彼は素晴らしいビジネスモデル(アート作品を売るのではなく、入場料収入でアートを見せる)を開発しましたよね。それでいうと、施井さんは元々アーティストだったんですか。
施井:僕は、油絵科出身なんですよ。
福田:本格じゃないですか。
施井:メディアアートの人たちって結構、「工学部系出身でアートに興味があって」という人が多いんですけども、僕はどっちかっていうとアートは油絵科で。プログラミングは卒業してから学んだんだんですよね。
福田:油絵は、何かキッカケがあったんですか。
施井:「アーティストになりたい」っていう希望は、中学校前くらいからありましたね。
福田:中学校前というと12~13歳ぐらいですよね。僕もやっぱり、同じような年頃に映画監督になりたいという夢をもっていました。
施井:同じですね。僕はもともと帰国子女だったので、アメリカにいたときはいたときで差別を受けたりするんですけど、日本に戻ってくると今度は外国人呼ばわりで、「アメリカ人!」とか言われたりして。そういうのが恐らく、何かしらの影響があると思うんですけどね。小さい頃からアーティストになりたいって思っていました。
福田:どういうタイプの絵が好きだったんですか。
施井:当時は印象派とか、普通に。今、言うと恥ずかしいような(笑)
福田:77年生まれで、80年代育ちで印象派と言えるのは新しいですよね。印象派が出たときの話をよく本で読みますけど、みんなあまりにアバンギャルドでびっくりしたらしいです。それまではポートレート写真代わりの画家しかいなかったから。それなのに、「いきなり印象で描くの?」みたいな。モネとかも新しかったはずですよね。
施井:当時の人たちにとっては、衝撃だったでしょうね。僕は最初のうちはあまり意味とかは考えず、ただ好きだったんです。どちらかというと、アーティストという職業が面白いと思っていて。ダ・ヴィンチとかも好きで、そこから次第にいろいろ見るようになっていった感じですね。
福田:アメリカはどこに住んでいらしたんですか。
施井:ロスアンゼルスのガーデナです。帰国した後に、黒人の暴動が隣の街で起こりました。
福田:ロス生まれのロス育ち。アートのある環境にはあったわけですね。
施井:そうかもしれないです。大学は多摩美ですが、その前にも留学していました。「アーティストは若い頃からプロフィールに残るようなことをしてないとダメだ」とか、脅迫観念みたいなものがあったのかもしれません。
福田:でも、今はそういうことを考えている賢い子、少ないですよね。
施井:完全に、中2病みたいな感じでしたけども(笑)
福田:大学生向けの講演に招いていただくことも多いんですが、「何をやりたいのかわからない」という質問が多いんですよ。施井さんの場合は、動き方見せ方含めて、素晴らしいと思いますよ。
施井:ある意味、アーティストを疑っている部分もあるのかもしれないです。どこかで演出も必要というか。自己陶酔のようなものも必要なんじゃないかと。