お寺が改革する”デジタル・ウェルビーイング”の世界

お寺が改革する
”デジタル・ウェルビーイング”の世界
(前編)

編集・構成:井尾淳子
撮影:越間 有紀子
日程:2021年9月5日

伊藤 東凌(写真/右)

株式会社InTrip 代表取締役僧侶 /臨済宗建仁寺派 両足院副住職 1980年生まれ。建仁寺派専門道場にて修行後、15年にわたり両足院での坐禅指導を担当。現代アートを中心に領域の壁を超え、伝統と繋ぐ試みを続けている。アメリカFacebook本社での禅セミナーの開催やフランス、ドイツ、デンマークでの禅指導など、インターナショナルな活動も。2020年4月グローバルメディテーションコミュニティ「雲是」、7月には禅を暮らしに取り入れるアプリ「InTrip」をリリース。海外企業のウェルビーイングメンターや国内企業のエグゼクティブコーチも複数担当する。近著に『心と頭が軽くなる 週はじめの新習慣 月曜瞑想』(アスコム)がある。
https://ryosokuin.com

福田 淳(写真/左)

スピーディ・グループ C E O
金沢工業大学大学院 客員教授 / 横浜美術大学 客員教授 ソニー・デジタルエンタテインメント社 創業社長 1965年 日本生まれ / 日本大学芸術学部卒
コンサル業務以外にも、女優”のん”などタレントエージェント、ロサンゼルスを拠点としたアートギャラリー運営、不動産事業をはじめ、中国の新経済特区マカオをベースとした日中エンタメ開発、エストニア発のブロックチェーンを活用したNFTビジネス、企業向け“AIサロン‘を主宰、沖縄でのリゾート開発・ハイテク農業、日本最大のeコミック制作、出版業など活動は多岐にわたる。
カルティエ「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー」、ワーナー・ブラザース「BEST MARKETER OF THE YEAR」など受賞。著書、講演多数。
公式サイト:
http://AtsushiFukuda.com

坐禅は頑張るのではなく「手放す」こと

福田:東凌さんと出会ったのは、1年前ですね。ぜひまた“禅”についてなどのお話を伺いたくて、今回は京都・両足院からお届けします。お時間をいただき、本当にありがとうございます。

伊藤:こちらこそ、ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

福田:僕は以前は外資系で働いていたので、外人感覚というか、そういう時代でもあったのですが、非常にプラクティカル(実用的、合理的)な物の見方をするところがあります。これまではマインドフルネスとか禅とか、まったく関心がなかったんです。さらに20代の頃は営業職が長かったので、先輩から「失敗したら比叡山に修行に行ってこい!」とか言われて、禅=苦行のようなイメージをもっていました。

伊藤:罰ゲームに近いですね。

福田:ええ。そういうイメージをずっと持っていたのですが、東凌さんにお会いしてお話をしたら、今までの僕が頭の中で考えていた坐禅の“型”のようなことについては、「一切気にしないでいいです」とおっしゃられて。例えば、「雑念が湧いてこないように、がんばって“無”にならなければならない」というようなものですね。本当に衝撃を受けました。それでいいんですか?っていう。

伊藤:はい。でも本当に、私はそれでいいと思っています。本来坐禅は、そのような計らいを持たずに坐ること。「ゆるめる、ほどく、手放す」という言葉がふさわしいと思っていて、「頑張る、打ち勝つ、乗り越える」ではないのです。座り方で「ゆるめる」コツを、脱力する事で「ほどく」方法を、呼吸に意識を委ねることで「手放す」自由をお伝えしています。 ただ、たしかに私は寺に生まれ育ったという理由もあり、お坊さんになることを決めたので、そこはやはり一生涯の生きるスタンスですから。福田さんがおっしゃる「型から学んで、実践する」という立場ではあります。お坊さんである限り、自分の「生きるか死ぬか、その問題を解決する」という、究極の目標はやっぱりありますから。

福田:死生観の問題というのは、決まっている型を覚えるのではなく、それを追求して解決する、ということでしょうか。

伊藤:はい。自分が本質的に“型”と呼んでいるものは何かというと、先程の「手放す」ということですね。つまり「こだわりをなくす」ということ。そのゴールは決まっています。ただ、人それぞれに背負ってきたものの違いがありますから、手放し方も人それぞれですよね。どんな人も、自分なりの「生きる死ぬ」のあきらめ方にたどり着きたいですね。坐禅はその生死を手放す為にあるわけですが、それだけを語っていていると生活からは離れたものになりすぎる。 でも僧侶の修行、そこで連綿と受け継がれた文化というものは、じつは誰にとっても、日常生活に役立つことがいっぱいあるんですね。私はそれらをお伝えする時に、必ずしも「型丸ごとでなければ学べない」というものではないと思っています。むしろ今までの「絶対に丸ごとセットです」という文脈ではもったいない、と考えるようになったんですね。

福田:なるほど。わかります。

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