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現代のお寺はプラットフォームであるべき

お寺が改革する”デジタル・ウェルビーイング”の世界   Talked.jp

福田:そういうお考えになったのは、お生まれが若いとか、インターネット時代に生まれたとか、後天的な環境から沸き起こってきたのでしょうか?

伊藤:そうですね。ただ技術の進歩によったというよりは、仏教文化、お寺文化のほうが、明らかに転換期にきていたことが大きいと思います。いわゆる「檀家制度」に依存して、「それを全うすることが僧侶の定め」という生き方、それで続いていくだろうと思っていた流れは、80年代ぐらいで終わり始めるだろうとは言われていましたから。なので2000年以降は、「明らかに檀家制度は終わっていくのだから、若い世代は新しい方法を考えていこう」というトピックが仏教関係者の間では当たり前のようにディスカッションされていました。

福田:そんな以前から、「檀家制度だけに頼ったらあかんで」という流れはきていたんですね。

伊藤:そうです。とはいえ、「どうやったらいいかは難しいよね」とか、私たちよりも上の世代は、「自分たちが生きている間は、仕組みは先細りながらも続くだろう」と……。

福田:そこは、サラリーマンや政治の世界と変わらないじゃないですか(笑)

伊藤:ええ(笑)ただやっぱり、「自分は今まで大事にしてきたものを守って全うしたい」という考えも、仕方がないとは思います。そういう部分と、一方で、自分が20歳ぐらいだった2000年代からは、「これまでとは違うスタイルをどう生み出すことができるだろう」「生み出さなければいけない」と考えてはいました。

福田:こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが……。檀家制度って、「契約者不在のサブスク契約」と僕は思っています。つまり亡くなった契約当事者がいない状態で、子どもや孫がメンテナンス料を払い続けるシステムですよね。もちろん、信仰心とか家族愛みたいなものはベースにあるんでしょうけども。そうすると、親は子どもにいちいち確認することもなく、自動的にお墓も、将来の支払いも決まってしまいますよね。

伊藤:個々が「ちゃんと自分で選んだ」という認識がない中で続いている文化なので、そこは難しいところですよね。

福田:この「末代までセット」という檀家制度が、もう時代に合わなくなっているというのは、僕も感じていました。僕は単純に、「お寺ってプラットフォームじゃん」と思っているんです。そして仏教は、「檀家さんだけのものではなくて、コンテンツじゃん」と。勝手な素人考えなのですけど、「プラットフォームなんだから、お寺をワクチン接種会場にしたらすごくいいんじゃないのか」とか。でもそういうのはダメでしょうか?

伊藤:全然あり、だと思います。そういう役割が、社会にとって、またその地域にとって役に立つポジションであれば、本当にありだと私は思います。

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