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本に教わった「不条理」

読書でしか、得られない価値  Talked.jp

幅:小学校の高学年の頃は、すでにいろいろ読んでいましたね。『あしたのジョー』ともう1つよく覚えているのが、川端康成の『片腕』という作品。ものすごく綺麗な女性が登場するんですけど、腕を借りていくという話で。

福田:シュールですね。

幅:「ちょっと腕を貸し手ください」と言われて、「はい」って、パパっと腕を取って。腕フェチの主人公が、その女性の腕を眺めたり撫でたりしているうちに、だんだん会話ができるようになって、「ちょっと付け替えっこしましょうか」という話になるんですけど、自分の腕と女性の腕を付け替えて感じる「遮断と拒絶」みたいな。読んだのは、小5くらいでしたね。わが家には「読んじゃダメ」という本棚があったんですよ。本棚がある中に蓋が付いていて、「この中の本は読んじゃダメだよ」って。そう言われると、当然読むじゃないですか。

福田:もちろん読みますね(笑)

幅:だから僕、「子どもが本を読まない」っていう親御さんには、「読んじゃダメって言う本を置いておくと、絶対読みますよ」って言うんですけど(笑)。で、いわゆる谷崎とか川端とか、近代のちょっと艶めかしい作品が「読んじゃダメ」コーナーにあったという。『片腕』は、性の目覚めがあるのかないのかの小5くらいの時期に読んだので、余計印象に残っているんですよね。教室で回ってくる『デラべっぴん』とかよりも、こっちのほうがエロいみたいな(笑)

福田:たしかに(笑)。川端ですから、ハイセンス&ハイブローですしね。僕は先程も出たマルケスの『百年の孤独』でビックリして、ラテンアメリカの「マジックリアリズム」(*魔術的リアリズムとも呼ばれ、日常にあるものが日常にないものと融合した作品に対して使われる芸術表現技法)という手法に初めて触れたといいますか…。読んだ時って、全部はピンとこないわけですよ。だけど、大人になってみると気がつく。この世界には不条理なことっていっぱいあるということを、文学と本が教えてくれていたんですよね。そんなふうに、意味もわからなかった物語の記憶が今も残っているというのは、本の、人に対する影響力の強さですよね。それって、SNSどころじゃないです。

幅:本当にそうですよね。僕が『百年の孤独』を読んだのは高2くらいだったと思うんですけど。当時は「何か」をわかろうと思って読んでいたんですよ。だけど手に取ってみたものの、全然わかんない。村の開拓者一族・ブエンディア家という一家が蜃気楼の村、マコンドという場所にやってきて、そこで栄えて、また衰退していくまでが書かれているんですけど、とにかく人の名前からして読者を混乱させるんですよ(笑)

福田:わかんないですよね(笑)

幅:「ホセ・アルカディオ・ブエンディア」とか、「アウレリアーノ・ブエンディア」とか「ブエンディア」がいっぱい出てくるのに、さらにそれが時系列もかなりシャッフルされていて。マジックリアリズム的なファンタジーの要素もあるから、読んでいて「あれ? この人、空に吸い込まれて居なくならなかったっけ?」みたいなやつが平気で出てくるんですよ。

福田:うん、そうですよね。あの文体では、「死」というものが、生き生きするんですよね。

幅:そうなんですよ。実は、今の改訳版『百年の孤独』には、血縁図が載っているんです。でも僕はあれ、あんまりよくないんじゃないかなぁと勝手に思っていて…。当時は血縁図なんてなかったので、自分で書き出したりして読んだんですけども。

福田:僕も書きましたよ!!

幅:書きましたよね(笑)

福田:そうそう。途中でわかんなくなって、書きました。難しいと諦めそうになる瞬間もあるんですけど、面白いシーンもあるから。なんか行きつ戻りつして、自分でノートに家系図書いたりね。

幅:でもあれ、読みながら書いても結構わかんなくなっちゃうんですよ。

福田:わかりますよ~。それでまた戻ったりね。

幅:そう、読み戻ったり。「わかんないけど面白い」っていう読書は、あれが初でした。「わからなくて面白い」みたいな、福田さんが先程おっしゃった不条理というか、割り切れないこと。「白黒ではない何か」というもの。しかもそれを面白いとポジティブに受け止めて見ることができたことが、自分にとっての驚きでもありましたね。

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