長野県はイノベーターを輩出する?
福田:中2の時、長野でFMアンテナを立てて、友だちに「情報は任せろ」っていう、そこは僕も通じるものがあります。中2で「スター・ウォーズ」を観て、映画ってすごいなと思って、8ミリ映画を撮り始めたんです。そしたら近所のダイエーで、なぜか期限切れのシングルエイトのフィルムが、100円で山程売られていたんです。小遣いでじゃんじゃんフィルムを買って映画を撮るんですけど、現像代が380円ぐらいして、中学生には高かった。だからひたすら撮って、現像するのはお年玉とか、小遣い貯まった時。
小林:それ中学生の時ですか? すごいですね。
福田:中学では8ミリ、高校では16ミリを撮っていました。もうお亡くなりになっていますが、当時、京都にお住まいの高林陽一さんという映画監督に、「自分の撮った作品の上映会をするので観に来てください」って、手紙を出したりしていましたね。住所は、名鑑とか見て調べてね。その時、映画プロデューサーの一瀬隆重さんが来て下さったりしましたよ。一瀬さんは、映画「呪怨」のアメリカ版をリメイクして、全米興行収入1位の大ヒットを作った方ですけども。当時、大阪で映画仲間もそう多くはないから、仲良くやっていました。
で、情報発信は「大阪のぴあ」と言われた「Lマガジン」という情報誌を通じて。自分の自主映画のキービジュアルが掲載された時はもう、飛び上がって喜びましたけどね。
小林:福田さんの原点ですね。
福田:そうですね。小林さんは、長野県で情報収集していたことは、後の進路にも影響を与えたんですか? 新しいことをやりたい、みたいな
小林:いえ、もう長野じゃ限界があるということで、すぐに家を出してしまったので(笑)、仲間は後に東京で出会うことになるわけですね。また、僕は表舞台に立つというよりも、オタク志向なんですよね。興味関心を掘っていくタイプだったから、まわりにいる友達もカルトな感じで。人と違うことに無頓着だったので、社会に出てから人と同じことをやりたがる人が多いことに驚くわけです(笑)。
福田:でも僕はいつも、人の幼少期とか、思春期の頃に関心があるんですよね。この歳になると、若い人にアドバイスを求められることが増えるじゃないですか。それで幼少期のことを聞くと、その人のブレないポイントって、大体そのあたりの年齢にあることが多いので。
小林:なるほど。僕よりも全然年下ですけど、映画監督の新海誠さんは、……同郷です。こんなに若いのに彼の描く風景はどこか懐かしい感じがするなと思っていたので、同郷だと知って納得しました。長野県は広いので、なかなか一緒くたに出来ないんですけど。
福田:上野から行くのと、新宿から行くのとでは違いますよね(笑)
小林:そうそう。特急列車の「あずさ」(新宿発)か「あさま」(上野発)ですね。僕の地域というと、「あさま」ですが、新海さん以外にLINEの代表取締役社長の出澤剛さんも有名ですよね。アフィリエイト型広告サービスの草分け「A8.net」の代表取締役社長、柳澤安慶さんとは同じ中学出身です。
福田:おお~! そうなんですか。
小林:わりと豪華な飲み会なんですよ(笑)。だからそういう意味では、イノベーターが多いなと。ただ僕が中高生だった時は、周囲の大人の価値観はものすごく保守だったので、それも耐えられない点でしたね。「いつか、あの山の向こうに行きたい」という感じでした。毎日山を見ているのも、もううんざりというか。いまは山の麓に住みたいというくらい自然派ですが(笑)
福田:なるほど。でも長野県というのは、ある意味では小林さんのおっしゃるような「情報鎖国」だったからこその渇きといいますか。渇望があるから、イノベーターが生まれる。そんな背景だったのかもしれませんね。