子どもの頃から飯ディガー
福田:この対談ではゲストに幼少期の頃のお話を聞いているんだけど、高山さんはどこ生まれなの?
高山:僕は足立区です。足立区の大衆割烹の息子なんですよ。おじいちゃんとおばあちゃんが大衆割烹をやっていて、父親はいろいろ指図を受けるのが嫌だと。だから継がなかったんです。板前もいて、アンコウの吊るし切りをやっているような店で「若も自分で料理を作らなきゃ駄目だよ」みたいな。食べるのは好きなんだけど、作るのは好きじゃない、父はそこで何を思ったか冷凍食品の会社に入って、ずっと勤めたんです。だから家にはたくさん冷凍食品があったし、割烹料理もありました。冷凍食品とちゃんとお出汁をとった美味しい料理を交互に食べる、みたいな。両方好きだったんですよ。
福田:なるほど。冷凍食品。
高山:父は飯ディガーなんですよ。インターネットがない時から、訳の分からないラーメン屋とか知っていたし。カレーにしても、インドカレー、欧州カレー、アジアンカレー、ソバ屋のカレーや中華屋のカレーなどいろいろあるじゃないですか。俺は小学校の頃に、これから来るトレンドはソバ屋のカレーだとか言っていましたから、早かったですよ。香妃園(六本木の老舗中華料理店)のカレーも食べていました。
福田:香妃園へ行ったら普通は鶏そばだけど、そうじゃなくて。
高山:中華カレー。普通は鶏ソバだけど、本当の名物はカレーだと。そういう英才教育を受けていたんですよ。メシ英才教育。
福田:すごいね。そっちの方に行きそうなものだけどね。
高山:勉強ができなかったから。だから大学は、当時倍率が0.9倍だった群馬県の大学に行ったんです。群馬で4年間。そこで地方都市のことを知ったんです。地方都市って大体似ているものなんだなと。
福田:群馬県の何市?
高山:太田市です。
福田:「スバル」の町だね。工場に勤務するブラジル人などの外国人が多く集まる。
高山:そうです日本のデトロイトです。大学に通いながら南一番街っていう北関東随一の歓楽街の飲み屋で、4年間働いていました。社会の縮図みたいなところで面白かったですよ。
福田:割烹、冷凍食品、B級グルメ…インターネットのマーケティング会社まで全然たどり着かないね。
高山:でも、あの4年間の経験が全てかもしれないですね。本を読んでいるだけでは分からないことがいっぱいありましたから。街に出たらこんな人がいるんだ、と。
福田:確かに。そういう部分は僕も似ているから気が合うんだろうね。今はコロナの影響でオンラインが中心だし、名刺交換も「ちょっとコロナで…」って控える感じになっているじゃない? そうすると、高山さんみたいな「風貌で勝つ」というタイプの人は…。
高山:雰囲気で出落ち感が…(笑)
福田:会った時の第一印象で「発注しなきゃしょうがないかな」みたいな雰囲気に持っていける人にとっては、つらい時期じゃないですか?
高山:そうです。だから「働かない」と諦めたんですよ。
福田:諦めた…と。ある意味正しいね。
(後編へ)