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父親の親友・ロバート・キャパ

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福田:川添さんのご著書によると、なんとお父様は、かの有名な写真家のロバート・キャパとお友達だったという。

川添:ロバート・キャパが、当時、僕の親父が暮らしていたモンパルナスのアパートに転がり込んできて、居候していたんです。

福田:すごいですよね……。現実の話ですか? それ(笑)

川添:はい(笑)夏に、親父がカンヌに行きました。そうしたら、えらいかわいい女の子がいました。ナンパをしました。そしたらその彼氏が、ロバート・キャパだった、というわけです。それで仲よくなっちゃって、その後、彼が無一文で、ハンガリアからドイツに行って、ドイツから亡命してきたんです。ちょうどヒトラーがえらい勢いを増していたときだから、「これはやばい」ということでね。 キャパという人は、お酒が好き、食べ物が好き、女が好きで、おまけにめちゃくちゃモテるの。かっこいいし、人なつこいし、とてもチャーミングな人です。それで、自分の彼女を餌に親父と仲よくなって、うちの親父は小金を持ってモンパルナスに住んでいたから、そこに転がり込んでずっと居候していたわけ。当時はお金もない居候のくせに、でかい面をしていたらしいです(笑)

福田:昔から大物だったんですね。

川添:親父によると、キャパは朝になると、ものすごい大きな音をたててシャワーを浴びたそうです。うちの親父は寝ぼけまなこで、同じ日本人のルームメイトと文句を言っていたわけ。で、2人で仏頂面していたら、「日本人というのは、みんな朝は仏頂面か」とか言われたそうです(笑)

福田:アハハ! 強気ですね。

川添:強気で、もう全然へっちゃら。「自分は写真家だ」って言うんだけど、貧乏でカメラはちゃんと持っていなかった。それで、のちの松竹四代目の社長になった城戸四郎さんという人が、同じくパリにおられたんですね。……その当時は、日本人の文化的コミュニティがあったんです。で、キャパはその城戸さんのカメラを借りて戦争に出かけて、写真を撮っているうちに落っことして壊しちゃって、えらい騒ぎになったりしていたわけ(笑)要するに、陽気で図々しいやつなんだよ、ロバート・キャパっていう人は。それで、彼のそんな冒険精神が成功に結びついたのは、スペイン市民戦争のときです。スペイン市民戦争の写真を撮りに行って、塹壕から飛び出してきた戦士が撃たれた瞬間を写真に撮ったんです。

福田:それが、無名だったキャパを一躍有名にした作品「崩れ落ちる兵士」ですね。被写体となった兵士は、歌を唄って出てきたっていう。

川添:そう、そのころのヒットソングですね。キャパが父に語ったところによると、この民兵敵弾のなか、「ラ・クカ ラ・クカラーチャ!」と、当時流行していたルンバを歌いなか゛ら飛び出したそうです。その写真が『ライフ』誌に載るやいなや有名になって、キャパは売れっ子作家になった。そのとき、キャパのガールフレンド……例のうちの親父がナンパした、ゲルダという女性写真家と一緒にスペインに行っていたのですけど、キャパは先に帰って来ていてね。ゲルダは帰り道、戦車に轢かれて亡くなったというエピソードもありました。

福田:ええ~! すごい物語ですよね。

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