プロボノが広告人を育てる理由②
福田:「この仕事をやればいくら(お金が)入る」みたいなことは一瞬忘れて、「どうすればもっと面白くなるか」ということにフォーカスして、自立的に考えるようになるんですね。
杉山:そう。だから甘っちょろく言えば、「この街のため」とか、「この人のため」とかということを目的とするから、なんかこう、あり得ない純な気持ちを仮説として持つことができる(笑) だからね、人がぐんと伸びるんだよね。
福田:1回社会に出て、普通にビジネスを覚えてしまうと、もうもらったお金の対価としての発想しか出てこなくなるものです。 「売り上げが右肩上がりのときはどうだ」という3ヵ年計画の繰り返しの波で、定年近くまで、そのマインドでずっといっちゃいますよね。
杉山:そう、うん。プロボノというのは、その関係の中でやるからね。「好きにやって」というのとまた違うんだよ。「好きにやって」と言ってしまうと、その「夢中」は全然生まれない。やはりこの人のためにやらなきゃいけない、あるいは自分が応えないとがっかりされちゃうとか、そういう関係の中での自由だから。それはなかなか宝物なんだよ。
福田:その関係性も、これならプロボノとして成り立つなという目利きがお互いに働いていることが重要ですね。だから、相手も選ぶということ。やはりそこが面白いですよね。
杉山:いわゆるボランティアともちょっと違うんだ。被災地に行ってお掃除したり、炊き出しをしたりというのもあるけれど、プロボノというのは、「自分の職能を使ってボランティアをする」ということじゃない?
福田:そうですよね。
杉山:だから自分の技術も試すことができるし、ある時は不甲斐ないと思ったり。
福田:さっきのアマチュアと通じるかもしれませんけど、生きていて五感を全開にして何かをやるということの機会が少ないですよね。主役が脇役になっちゃう。そうなると面白くないですよね。
杉山:そうなの。かなり実務に近くなっちゃうので……、なんか一瞬いい人になったような気になるんじゃない(笑) だからこれが行きすぎると、いつの間にか「利他」が「利己」に変わってしまって、「オレ、社会的にはいいことしてるんだぜ」と言うふうになるのは最悪だな。
福田:そうですね。
杉山:そう。でも、そうなりがちなんだよ。僕はずっと公共広告をやってきたんだけど、「ポイ捨てはやめましょう」とか、いいことを言うわけじゃない。それで自分も一緒になって視線が上のほうになって、人をコントロールする側にいっちゃうと、もうろくなことないんだよ。「お前の中にも、ポイ捨てしたくなるやつが住んでいるだろう?」って、自分で自分に問わないと、清廉潔白だけになっていっちゃう。
福田:僕は芸能エージェントをやっているので思うんですけど、ちょっとしたことですぐ炎上したり、干されたりするじゃないですか。近年の芸能やテレビの世界が、高い倫理観を求める割に、ちっとも清廉潔白な感じがしないのも「利他」が足りないからですよね。