エリート教育と「男の子」的発想
福田:教育の話をもう少しさせていただくと、以前、「エリート教育は大事だ」とおっしゃるフランス文学を研究している先生と対談をしたんです。それが面白くて、「物理のある分野」においては1人しか合格しないような厳しいクラスで80人ぐらいいるけれど、みんな途中でドロップしていく、と。けれど残り79人はバカなのではなくて、そこで自分の能力に応じた役割を見つける、というお話が印象に残りましたね。「この物理は途中でめげたけど、もしかしたら自分の関心は、そっちじゃなくこっちかもしれない」と。だからこそエリート教育は必要で、むしろゆとり教育は全然必要ないっていう意見だったんですよ。 で、もう一つは「専門性を磨け」という話と、「全く専門性はいらないよ」っていうのは、両方同時に存在していい。
野中:もちろん。
福田:みんながみんな、MBAを持たなくていいよ、と。「ここまで働いたあとは、オレはイカ釣り漁船で食べていきたい」ということだって一つの価値観だから、社会は、たくさんのありようを認めるべきだと思います。企業って、わかりやすい数字とか、目に見える頭の良さだけで判断するじゃないですか。
野中:そう。それは「男の子の発想」なんですよね。そろそろ、それだけでは伸びしろがないことに気付かないと、22世紀へのいい橋がかからないから……。
福田:全然気付いてないですよね。どういうわけか。
野中:例えばエリート教育と聞くと、「成績を良くするための」エリート教育をイメージしがちでしょう? でもそれ、エリート教育でもなんでもないんですよね。物理の難しい問題を解けたとしても、「へえ、良かったね」だけのこと。(笑)
福田:まあ、そういうことですよね。
野中:文部省の時代から、保体審や中教審など、教育問題も多く関わったんですが、何が分かってないかというと、その物理の難しい問題が解ける=エリートだと思っている。さらに「みんな一緒に平等にやらなければいけない」=民主主義だと思っているわけです。それで、抜きんでた子の抜きんでたものを、もっと育んでやろうということをエリート教育と言っちゃっている。けれどその発想自体違うと思っていて、いのちがあるというだけで「全員エリート」なんですよね、本当は。生まれているだけで、もうめっけもん!。
福田:野中さんにそう言われてハッとなるし、背筋もしゃんとするし、今日のこういうお話は、みんなに聞いてほしいと思いますね。 本当に生きていると、すごく狭い世界に入り込んでしまいます。僕もコロナが始まり沖縄に逃げていましたが、3年ぐらい同じところにいるだけで地域に「同質化」しちゃうんですよ。それで3年ぶりにロスに行ったんですけど、「あれっ、ロスってこんなにみんなわがままで自由だったっけ?」と思いました。でもロスの街自体はもともとそうで、前と変わったわけではないんです。こんなにも分かっているはずの自分なのに、3年いないとわからなくなる。「周りの人が5人太っていたら、きっと自分も太ってる」ということと同じくらい、脳は狭い世界の影響を受けてしまうんですね。そこから逃れるためには、ただ単に「多様性」っていう言葉だけじゃなくて、意見の合わない人とか、環境のまったく違う人に会って、意識的に知らない場所に行かないと、それは保てないのかなと。
野中:今、福田さんの頭の中におありになるのは、「エリート教育=その子自身が与えられるべきものを与えてもらえる」というイメージですよね。同質性のお池の中で、のイメージ。で、野中が「全員エリートだ」と言ったのは、ディメンションがやや違うんです。この子も、あの子も、有象無象も含めて「縦に一緒」。ヒエラルキーや比較優位を超えて、縦のDNAの繋がりあり!イコール皆んな「生きている」存在。これが「皆んなエリート」だという感覚です。
福田:なるほど。
野中:ロサンゼルスというところでは、いろいろな人たちが来て、居て。好き勝手なことをしているエリアなんですよね。けれど日本はというと、「お前、どこの学校?」とか、「何年生まれ?」とか、そういう事柄で人々の存在の位とエリアを社会がきちんと分けてしまっている。
福田:決めちゃっている。
野中:そうなんです。で、それで抜きん出て、100人いる内の1人しか解けない問題を解いた子がいた時に、もちろん「すごいね」なんですけども、それは「正解」があるものなんですよね。正解があるものに対して、「はい!」って手を挙げて、早く答える。この運動神経能力含めて、それは本気で訓練しようと思ったら、誰でもできるものなんです。けれど、正解のない質問への答えを考えていく力こそが、私は「知性」だと思っています。一人一人は知性を開くことができる存在で、その存在が自由に泳げる「池」を、私は地球上で作りたいと思うんです。
福田:素晴らしいですね。やっぱり、「男の子」であると…そういう発想に至らないですね、なかなか…。
野中:男の子の発想は、やっぱり「比較してどうよ」ですよね。「オレ、結構イケてる?」とか、「こっちはイケてなくても、金はあるよ」とか、「金はないけど、オレなかなかセンスはあるよ」という。
福田:社会の決めた機軸の中で設定したもの。そこに承認を求めてしまうんでしょうね。
野中:そうですね。承認欲求は、みんなにある。なぜかというと、「いのち」のホメオスタシス(恒常性)の仕様がそうなっているから。よく、「褒めて育てろ」と言いますが、それって「ちやほやしなさい」ということではないんです。認めてあげる、ということ。他者から認めてもらえると、アドレナリンが出るようにできているんですって(笑)素敵でしょ、いのちって。「オレ、足が遅くて」「そう。いいのよ。あなたがいるから、足の速い人が喜ぶの。役に立ってるのよ」と言うと、「そうか、大丈夫なんだ」って、元気も出てくる。
福田:うーん、その褒め方が素晴らしいですね。